2015年06月18日

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタNo.3「ゴルゴラの丘」

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタNo.3「ゴルゴラの丘」
(1975)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri (1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

I. Andante – Allegro
II. Lento
III. Allegro – Andante

 作者は生涯を関西を中心とした日本音楽界の為に捧げた日本のクラシック音楽史上の大功労者。朝比奈隆に師事し、1941年旧東京交響楽団にホルン奏者として入団したのを皮切りに、多くの楽団に在籍、大阪音大講師に就任した。「浪速のバルトーク」の異名を誇り、日本人の土俗的かつ原始的な感情に根ざした作風でオペラ、管弦楽曲、吹奏楽曲等、多くの分野で作品を残した。1958年に大阪府芸術賞、1991年に日本吹奏楽アカデミー賞を受賞。没後30年に当たる昨年には記念演奏会などが多数催された。マンドリンオーケストラのためにはシンフォニエッタを始めとした純器楽のほか音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、その総数は約40曲にも及んで作者の作品の中でも多くの割合を占めている。
 コンコルディアでは大栗のマンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタを全曲演奏に向けて定期演奏会にて継続的にとりあげており、今回はその4回目に当たる。今回取り上げるシンフォニエッタ第3番「ゴルゴラの丘」は、1975年に福岡マンドリンオーケストラ第10回定期演奏会にて初演された(その後、同団体で第20回定期演奏会に置いて再演されている)。大栗のマンドリンオーケストラ作品は関西学院大学、京都女子大学、名城大学、帝塚山学園中高という作者に関連の深い学生団体で初演されているものが多く、市民団体で初演された本作は例外的である。同年に初演されたシンフォニエッタ第4番「ラビュリントス」とは、同時並行で作成が進められていたようである。
 大栗のシンフォニエッタは7曲(及び編成違いのサブナンバー1曲)が作曲されており、ソナタ形式等を用いた3楽章の形式を雛形としながら作曲者の音楽性が表現されている。大栗のシンフォニエッタでは第1楽章に明確なソナタ形式の楽章を配置することが多く(第3楽章にもソナタ形式が配置されることがあるが、こちらはやや自由な扱いをされることが多い)、本作もそのようになっている。大栗のソナタ形式は古典のそれと異なり調性対立を重視せず再現部が忠実にリピートされることが多いが、本作の第1楽章は第2主題が再現部で移調されており特徴的である。第3楽章の第2主題は第1楽章の主題と関連性がもたされており、再現部では第1楽章の主題が引用される。
 ゴルゴラの丘は作曲者自筆解説にもあるように中央アジアの叙事的な素材を標題としたものである。大栗と言えば音素材においても標題においても日本的な題材を用いる作風がイメージされるが、マンドリン音楽のためには本作の以前にも独唱とマンドリンオーケストラの為の組曲「若きロブの女王」という中央アジアを標題の題材とした作品があり、そこには作者の若いころからの中央アジアへの夢が表れている。同時期に書かれた2つのシンフォニエッタでいずれも叙事的な標題を持って一方(本曲)は中央アジア、他方(ラビュリントス)はギリシャとあえて日本を離れた題材を用いたところは興味深い。

参考文献:日本の作曲家―近現代音楽人名事典(日外アソシエーツ, 2008)、マンドリンオーケストラコンコルディア第26回定期演奏会パンフレット
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初夏のうた

初夏のうた (1974)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。
その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。
 またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、 現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。 作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。
 本作は作者が学生時代から書き進めて来た「マンドリン合奏の為の三楽章」や一連の序曲が一段落した1974年に作曲されている事や、本拠とする名古屋大学ではなく岐阜大学からの委嘱である事などから、それまでの力の入った大作指向から、少し趣の違った作品となっている。
そもそも「初夏」とはいつの事を指すのであろうか。旧暦で「初夏」は4月の事であるから、現在では5月から6月の頃を指すものと思われるが、立夏から始まり芒種までを言うという説も見受けられる。いずれも二つの季節の端境という事と思われるが、それが作品を象徴するBbとCをはじめとする二度の和音を意図的に重ねて積み上げていく和声構造から感じ取る事が出来る。
 作品はフルート、クラリネットを含み、これら管楽器が音楽に彩りを与えており、更に唯一用いられる打楽器であるトライアングルが非常に効果的で、この2つの響きがあたかも水墨画をカラリゼーションしたかのような効果を生んでいる。初夏の「萌え出る緑」「小鳥のさえずり」「小川のせせらぎ」といった風景を眼前に彷彿とさせる魅惑的な旋律美に溢れている一方、一転して後半には縦に揃った強烈なリズムから疾走感のあるAllegroとなっており、大自然の峻厳な姿も感じとる事が出来る。美しい旋律と複雑な和声やリズムの組み合わせの妙は、この時期の帰山氏ならではのもので、二つの季節だけでなく、異なるリズムの共存、同じ旋律を異なる拍節で表現するなど、1990年に近く、氏が「三楽章第4番」で描いたアンビバレンツを先取りしたものというとらえ方も出来るのではないだろうか。
 なお、本作には同時に作曲された「初秋のうた」という双子の作品があるが、本作とは対照的に調弦から音楽が始まるなど、斯界においては特殊とも言える記譜によるチャンスオペレーションの要素を含んだ作品であり、祭り囃子の狂乱も聴かれるが、非常に難解を究め、同年の東マン、全マンでの演奏以降演奏機会を得ていない作品である。
参考文献:帰山栄治普及振興協会編「帰山栄治作品解説集」http://www.bass-world.net/cgi-bin/kaeriyama_works/wiki.cgi
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2015年06月16日

マンドリンオーケストラの為の群炎II

マンドリンオーケストラの為の群炎II
(1972)
熊谷 賢一
Kenichi Kumagai(1934.2.16 Yokohama〜)

 作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。
マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズI〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、氏の作品を初演するなど縁の深いプロムジカマンドリンアンサンブル(広島)の創立者であった高島信人氏の働きかけや斯界からの熱心な要望もあり、現在では作者との適切な手続きを踏まえて演奏が可能となっている。
 本曲は1971年に作曲者にとって最初のマンドリン合奏のための作品である群炎Iを発表した後に書かれた2作目の作品であり、同年に名古屋学院大学マンドリンクラブにて初演された。その後改訂が行われており、本日用いる楽譜は改訂後の版である。本曲は6曲あるマンドリンオーケストラのための「群炎」の中で最も規模が小さいが、主題間の関連性を軸とした綿密な構成感や前作群炎Iの主題の引用など、非常に密度が高い作品である。
 曲は密接に動機を共有する2つの主題(順にAとBと呼ぶ)を有しており、外形上は鏡像風の三部形式に近い。冒頭不協和音の単打が重なりつつ高まりゆく中で、第1マンドリンによって2度の動きが示される。この動きが一旦収まった後、主題Aがマンドラによって提示される。この主題の旋律は日本の5音音階である陽音階を用いたもので、2度下降して2度上昇する部分動機(この動きはそれまでに既に用意されている)、および3度上昇して3度下降する部分動機が重要なものとなっている。その後、歌謡的な主題Bが提示される。この主題は主題Aと主要な部分動機を共有するものであって、調とオーケストレーションを変えながら繰り返し演奏される。エピソードを挟んで、主題Aがテンポと拍子を変えて現れ、その後に主題Bはややテンポを速めて再現される。最後に冒頭の不協和音のリズムの中で主題Aが再び現れるが、その旋律の前には群炎Iの主題の断片が付与されており、この2つの曲の関連性を示している。
 
参考文献:音楽家人名事典 新訂第3版 (日外アソシエーツ, 2001)、マンドリンオーケストラコンコルディア第32回定期演奏会パンフレット、邦人作曲家・マンドリンオーケストラ作品リストhttp://homepage3.nifty.com/chocchi/Composer/composer_frame.html
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アーベントムジーク

Abendmusik, Vier Canzoni für Zupforchester (1949)
クルト・シュヴァーエン
Kurt Schwaen (1909.6.21 Kattowitz 〜 2007.10.9 Berlin)


I. Allegretto
II. Moderato (Andantino)
III. Poco mosso
IV. Vivo

 作者はドイツの作曲家。1923年からFritz Lubrich(Max Regerの教え子)にピアノ、オルガンと音楽理論を習う。1929年から1933年までベルリンとブレスラウの大学で音楽学、芸術史、哲学、ドイツ語を学ぶ。1934年からはピアノ教師として活動するが、ナチの活動に反対したために1935年から1938年まで投獄された。戦後は民族音楽学校の設立に貢献するとともに、音楽講師として活躍した。その後東ドイツ作曲家音楽家協会、著作権保護団体や東ドイツ民族音楽協会、ドイツ芸術アカデミーなどで要職を務めた。
 様々なジャンルや楽器のために創作を行い、その主たる作風は調性に根差した新古典主義である。マンドリン合奏(Zupforchester)のためにはKonrad Wölkiの勧めで1948年にDrei Sätze, Op.24(三楽章)を作曲して以降、継続して作曲を行った。独奏を伴うZupforchesterやマンドリン独奏のための作品なども多数ある。
 本曲は作曲者にとって最初のマンドリン合奏のための作品であるDrei Sätzeを発表した後に書かれた2作目の作品であり、ライプツィヒャーラウテンギルデ(ライプツィヒリュート組合)の指導者であったErich Krämerの依頼で作曲され1949年に発表された。その後1980年の出版に際しては第4楽章の終結部に改訂が行われており、本日用いる楽譜は改訂後の版である。今回の演奏に際しては、マンドロンチェロの加筆を行った。
 アーベントムジークとは直訳すると夕べの音楽という意味で、宗教的な色彩を持って教会で行われる夕べの演奏会を指す。特に17世紀にリューベックのセントマリーチャーチでクリスマス前の5回の日曜に夕べの演奏会を行う習慣があり、その演奏会を指した(そこでオルガンで演奏される曲を指すこともある)。副題に4つのカンツォーネとあり、カンツォーネはイタリアの歌を指すとともに器楽曲のジャンルではソナタの前身となった16〜17世紀の形式を指す。ヴェルキは、この曲におけるカンツォーネは「無言歌」という意味と解釈できるとコメントしている。

Wikipedia, Die freie Enzyklopädie (ドイツ語版) 
http://de.wikipedia.org/wiki/Kurt_Schwaen
本曲の楽譜添付解説(Konrad Wölki)
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組曲第1番

組曲第1番
Suite Nr.1 für Zupforchester, Op. 29 (1935)
コンラート・ヴェルキ
Konrad Wölki (1904.12.27 Berlin 〜 1983.7.5 Berlin)


I. Präludium
II. Courante
III. Sarabande
IV. Gavotte
V. Gigue

 作者はドイツの作曲家、マンドリン奏者で、マンドリン合奏の地位向上に貢献した。12歳の時にベルリン王立オペラ児童合唱団のメンバーとなった。18歳の1922年にマンドリンオーケストラフィデリオを結成した。この合奏団は何度か名称変更して、最終的に1937年にベルリナーラウテンギルデ(ベルリンリュート組合)という名前になった。1934年から1940年までシュテルン音楽院で撥弦楽器を教え、1948年から1959年までライニッケンドルフの市民音楽学校を指導するなど教育方面で活躍した。ヴェルキは多数の作曲や編曲、マンドリンの歴史の研究、マンドリン教本の出版などを通じて撥弦楽器の認知度を高めた。
 作風は初期には大編成のロマン派、中期は小規模なバロック風、後期は近代的な和声やリズムを取り入れて、晩年には全日本高等学校ギター・マンドリン音楽振興会との交流を通じて原点回帰した(中期に作曲された本曲は、このつながりでギター合奏用にも編曲されている)。
 ドイツのマンドリン合奏曲は初期においてはトレモロ奏法の多用や管楽器などの導入を含めた大編成化によるオーケストラ志向が強く、ヴェルキの初期の作品はその中心的存在であった。その中で1933年にHermann Ambrosiusが組曲第6番を作曲し発表すると、そのピッキング主体の奏法、小編成の響き、新古典主義などの作風に可能性を感じたヴェルキらが追従し、現在のドイツにおけるツプフ音楽の流れの原点となった。アンブロジウスの音楽がいかにエポックメイキングであったかは議論の余地が無いが、既にドイツのマンドリン音楽において地位を築いていたヴェルキの追従はそれが全体に波及する上で特別の意味があることであったに違いない。
 本曲は組曲第6番の影響を受けてヴェルキが作曲した作品であり、擬古典的な形式やピッキング重視(トレモロ奏法は本曲では完全に排除されている)などの特徴が端的に表れている。後に作曲された組曲第2番Op.31が同様の作風を持ちながらもより自由に昇華しているのに対して、本曲には作者にとっての新しい作風に厳格であろうとする姿勢が感じられる。ヴェルキはマンドリン合奏用にGeorg Friedrich Händelのクラヴィーア組曲第2集第4番HWV437を編曲しているが、それを研究することを通じてバロック様式を学んだと考えられ、本曲の舞曲様式にはその曲との類似性が強く表れている。作者の没後、埋葬の際にはかつてのラウテンギルデのメンバーが本曲を演奏したという。
 本曲は古典組曲(バロック舞曲による組曲)の形式を持ち、前奏曲、クーラント、サラバンド、ガヴォット、ジーグの5つの楽章からなる。古典組曲の基本舞曲から最初のアルマンドが省略されており(その代わりに前奏曲が置かれている)、間奏舞曲にはガヴォットが選ばれている他、ジーグの直前にはサラバンドのリズムによる短い間奏Zwischenspielが挿入されている。舞曲の様式は前述のようにヘンデルのクラヴィーア組曲のそれを基本としているが、バロック様式からの逸脱も見られる。それはヴェルキの個性であり、本曲のバロックパスティーシュとしての魅力である。

参考文献:
Wikipedia, Die freie Enzyklopädie (ドイツ語版) http://de.wikipedia.org/wiki/Konrad_Wölki
posted by コンコルディア at 20:24| Comment(0) | 過去の定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする