2011年06月15日

序曲「サウル王の悲劇」、牧歌的組曲「田園への旅」

序曲「サウル王の悲劇」
“Saul” Ouverture d’introduzione alla Tragedia Saul, op. 30 (1874)
牧歌的組曲「田園への旅」
Gita Campestre, Suite Idilliaca
ジョヴァンニ ボルツォーニ 作曲 石村隆行 編曲
Giovanni Bolzoni (1841.5.15 Parma 〜1919.2.21 Turin) / Rid. Takayuki Ishimura 

 作曲者はイタリアの指揮者、教師、作曲家。パルマの音楽学校にてG. del Mainoにヴァイオリンを、Griffiniに声楽を、G. Rossiに作曲を学んだ。1859年に卒業した後は各地の劇場指揮者、音楽学校の校長などを歴任した。トリノの音楽高等学校では校長および作曲科の教授を務め、器楽科の設置などを行って厳格なオペラ重視の伝統の見直しを行った。作曲家としては数曲のオペラも残しているものの、主要作品は室内楽曲と管弦楽曲であり、オペラ優勢の時代にあって一線を画している。特性的な小品や叙事的な序曲などを好んで作曲し、本日演奏する「サウル」を含む5つの序曲や弦楽四重奏のためのromanza senza paroleなどが代表作である。
 本日演奏する2曲はいずれも京都在住のマンドリニスト・音楽研究家の石村隆行氏による編曲である。主宰・指揮者を務めるESTUDIANTINA PHILODOLINO di KYOTOおよび技術顧問を務める同志社大学マンドリンクラブなどでイタリアロマン派の音楽を中心とした作品を多数編曲して発表しており、その中には本日演奏する他にもボルツォーニの作品が複数含まれる。

 序曲「サウル王の悲劇」はボルツォーニがF. Morlacchi劇場の指揮者をしていたころに作曲した管弦楽のための序曲である。
 サウルとは旧約聖書のサムエル記に登場するイスラエル最初の王である。サウルは神に選ばれて王となるが、アマレク人との戦いにおいて「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の意志に従わなかったために神から見放されてしまう。サウルに替わって神の加護を受けたのは竪琴の名手であるダビデであった。サウルは初めダビデの竪琴によって癒されるが、ダビデが戦闘で成果を挙げるにつれ妬みを抱くようになり、何度もダビデを殺そうとする。そしてサウルは神の導きを得ることなく戦いのうちに死を迎え、その後を継いでダビデがイスラエルの王となる。
 曲は下降解決の倚音を特徴とする緩徐な序奏に始まる。この倚音はAllegro agitatoの激しい第1の主題に引き継がれるが、この主題は現れるたびに形を変える。一方やや穏やかな第2の主題は変化が少なく、常に同じ調で現れる。カデンツァを挟んだ緩徐な中間部では竪琴の音楽が強調されるが、ここでも第2の主題が優勢である。中間部が終わって、序奏の旋律は再現されるものの、第1の主題は明確に原型で再現されることが無いまま曲が閉じられる。
 複数の主題を有するものの、楽式はソナタ形式には依らず、主題間の対比に焦点のあるつくりとなっている。竪琴と関連付けられた第2の主題がダビデを表すとすると、泰然としたダビデに対して現れるたびに形を変える第1の主題は運命に翻弄されて迷走するサウルのように見える。

 牧歌的組曲「田園への旅」は次の4楽章からなる組曲である。
I. 行進 In marcia, Tempo di marcia, moderato 2/4, ヘ長調
II. 抱擁とくちづけ Carezze e baci, Andantino elegante 3/4, 変ロ長調
III. やさしき対話 Gentile colloquio (Duettino), Adagio 3/4, ハ長調
IV. 幻想的な踊り Danza fantasiosa, Allegro vivace 3/4, ト短調-変ロ長調
 いずれも三部形式に依る。第1楽章は導入部的な役割の軽さのある行進曲風の音楽である。第2、第3楽章はいずれも緩徐楽章であるが、特に第3楽章ではバスの保続音上に歌われるマンドリンとリュートモデルノ(5コース弦のマンドロンチェロ)独奏の2重奏が美しい。第4楽章は情熱的な舞曲で、中間部では第2楽章の旋律が回想されるとともに第3楽章の主題が対位法的に演奏される。

参考文献:The New Grove Dictionary of Music and Musicians, Second Edition, (Grove, 2001)
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2010年06月12日

夢の眩惑

瞑想曲「夢の眩惑」(1941)
Incantesimo di un Sogno, Meditazione
ウーゴ・ボッタキアリ
Ugo Bottacchiari(1879.3.1Castelraimondo〜1944.3.17 Como)

 作曲者はマチェラータのカステルライモンドに生まれ、同地の工業高校で数学と測地法を学んだが馴染まず、幼少より好んでいた音楽に傾倒していった。そしてピエトロ・マスカーニ(歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」で著名)の指導下にあるペザロのロッシーニ音学院に入学し、厳格な教育を受けた。師マスカーニからは直々に和声とフーガを学んだという。1899年にはまだ学生であったが、歌劇「影」を作曲し、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場で上演、成功を収めオペラ作曲家としてのスタートを切った。卒業後はルッカの吹奏楽団の指揮者や、バチーニ音学院で教鞭をとるなどしつつ、管弦楽曲、歌劇、室内楽曲、声楽曲、マンドリン合奏曲など数多くの傑作を表し、諸所の作曲コンクールで入賞した。
 マンドリン合奏のための作品としては、1906年のシヴォリ音楽院の作曲コンクールで第1位を受賞した4楽章の交響曲「ジェノヴァへ捧ぐ」、1910年のIl Plettroの第3回作曲コンクールで第1位を受賞したロマン的幻想曲「誓い」や「交響的前奏曲」などを残し、いずれも斯界の至宝的存在となっている。ボロニアで発行されていたマンドリン誌「Il Concerto」の主宰者になり、1925年にはA. Cappellettiのあとを継いで、コモのチルコロ・マンドリニスティカ・フローラの指揮者に就任するなど、作曲以外の面でのマンドリン音楽への貢献も大きいものがある。
 本曲は前述のコンクールで第1位を受賞した作品である。 本曲が作曲された1941年は作者が亡くなる3年前にあたり、本曲には作者の円熟した作曲技法が惜しみなく用いられている。「ジェノヴァへ捧ぐ」に片鱗が見える、楽想ではなくモードによって主題の特徴づけがなされるソナタ形式、「誓い」に用いられる低音から主題が現れ高音へ遷移する導入部、「交響的前奏曲」に見られる緻密なディナーミク設計とゼクエンツの取り扱いなど、作者のマンドリン合奏曲の魅力となる要素が本曲には多く用いられている。ボッタキアリの作風である色濃いロマン主義が根幹をなしながら、全音音階や教会旋法、および教会旋法を元にした合成音階の使用は印象主義の影響を感じさせるものである。そしてこれらの作曲技法はその全てが非常に緻密に構成され、思想の音楽的体現に至っている。これらの意味で本曲は紛れもなく作者の最高傑作であるとともに、イタリアロマン派のマンドリン音楽の頂点であり終着点である。
 本曲の最も深遠な構造上の特徴は、「意味」という軸における多層構造である。この多層構造は、次のような4つのレイヤーの集合として考えることができる。
1. 単一の動機を全体で共有した音楽
2. ソナタ形式による、調性とモードで主題が区別された音楽
3. 主題間のエネルギーのやり取りがある、主題の融合をもった音楽
4. モードのもつ調性上の多義性を基に、調性による対立が破棄される音楽
これらはいずれも本曲の内容を表したものであり、どのレイヤーで音楽を見ることも誤りではない。さりながら、どのレイヤーで音楽を見るかによって曲が有する意味は大きく変貌する。
レイヤー1においては、本曲は3度下降-3度下降-2度上昇という単一の動機が様々な形に展開される音楽であり、そこには対立の概念は生じない。
レイヤー2においては、本曲は4つの主題を有するソナタ形式である。第1の主題は全音音階を特徴として主調提示主調再現され、第2の主題は最も安定した長調での主調提示であるが展開部においてミクソリディア旋法となり属調再現され、第3の主題は主調提示で属調の属調再現、第4の主題は和声的フリギア(フリギア旋法を元にした合成音階)を特徴として属調提示属調再現される。このうち第1の主題と第2の主題は正反対の方向から同一の概念を示すものと見ることができる。第1の主題は調性的にあいまいであるにも関わらずひとつの調性への結びつきが強く、第2の主題は調性的に安定であるにも関わらず旋法を変え調性を変えて再現される。これは一見不安定なものが安定であり、他方で一見磐石であるものが非常に脆いものであるということである。このレイヤーでは、第1の主題と第2の主題は対比される。
レイヤー3においては、第1の主題と第2の主題は交歓するものである。第1の主題が力を得るにあたって第2の主題からのエネルギーの流入がある。第1の主題は第2の主題のミクソリディア旋法を吸収し、その意味では両者は融合する。このレイヤーでは第1の主題と第2の主題は親和性が高く、それらと対立するのは第4の主題である。
レイヤー4においては、第3の主題を用いて調性対立の意味が書き換えられる。ある調の長調はその属調のミクソリディア旋法と構成音が同一であるが、これを第3の主題に適用することで主調と属調の対立が本質的ではないものであることが示される。これによって、主調志向の第1の主題(および第2の主題)と属調志向の第4の主題の対立は意味上の価値を失う。
 本曲の書かれた1941年は既に述べたように激動の時代である。時代と重ね合わせて見るならば、レイヤー2における、最も確かだと思われたもの(第2の主題)が実は最も脆いものであるということは、今信じられているものが脆くも崩れ去ることへの暗示である。すなわちこのレイヤーから見られるのはファッショによる体制への批判であるが、一方でより形のあいまいなもの(第1の主題)は力を維持することから、もっと純粋な意味でのナショナリズムを否定してはおらず、両者を対比的なものとして提示している。ひとつ上のレイヤー3では第1の主題に力を与える過程に第2の主題が大きく関わっていることから、体制は単純に否定されるのではなくその延長にあるべき姿を導く存在となるように意味を変更させられるものである。ここでは対比されるのは国家内部ではなく外部の力である第4の主題である。さらに上のレイヤー4では、第4の主題との対立も解消される。すなわち、国家内部と外部の壁は再び取り払われ、それまでの全ての意味を内包した上での平和が示される。この状態は全てに区別が無いレイヤー1と類似しているが、そこにはひとつの次元の異なりが存在する。(以上のような見方はあくまでも標題的な解釈の一例であり、本曲の価値がそこに限定されるわけではないことをお断りしたい)
 「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」とは江戸川乱歩の好んだ言葉である。夢と現実の交換は真実と虚像の交換と等しく、価値観の根本的な転換を暗喩するものであろう。すなわち本曲における”Sogno(夢)”の”Incantesimo(魔法を掛けること)”とは、価値観の転換そのものを指していると考えることができる。転換された価値観の下では、意味づけによって真実を再構築することが必要となる。意味という軸で何度も上書きを行う本曲の構造は、価値観の転換を描くとともにそれに対して真実の再構築という救済を与えるものであろう。
 本曲はLargo sostenuto、Largo triste、Andantino mossoとテンポ指定された3つの部分からなり、大まかにはそれぞれが提示部、展開部、再現部に相当する。主題の提示は、マンドローネに始まる第1の主題、ギターと第1マンドリンがオーケストレーションに加わる第2の主題、さらにハープが加わる第3の主題、提示部中の最強奏である第4の主題の順に行われる。各主題はひとつの動機を共有するものであるため、展開部では動機を用いた展開は少なく、主題が各々の形をある程度保持したまま対立または融合する。再現部では第3の主題、第2の主題、第4の主題の順に再現が行われ、最後に全曲の最強奏として第1の主題が演奏される。
 本曲の鑑賞にあたっては、前述の構造自体がもつ多義性のために一度に全てを受け取ることは難しい。むしろ最初の鑑賞で最上位のレイヤー4に到達してしまうならばそれは本曲のもつ価値観の転換を一度も経験しえないことになるため、曲の魅力を真の意味では体験できないということになってしまう。本日の演奏を通じて皆様のもつレイヤーからひとつ駆け上がっていただき、価値観の転換を一度でも味わっていただければ幸いである。

参考文献:
ぶろきよ夢の魅惑
オザキ企画「Ugo Bottacchiari集(1)」松本譲編
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2010年06月11日

英雄葬送曲

英雄葬送曲
Epicedio Eroico (1941)
カルロ・オテッロ・ラッタ
Carlo Otello Ratta (1888.9.24 Ferrara〜1945.10.30 Ferrara)

 作者はフェラーラに生まれ、フェラーラに没した作曲家。作者の作品としては本曲の他、1935年、コモで初演された1幕もののオペラ「Marfisa」や、2幕のオペレッタ「計器飛行」などの他、斯界においては、1940年の第1回コンクールで入賞した東洋風舞曲「イタリアのチュニジアにて」が知られている。「イタリアのチュニジアにて」作曲当時フランス統治下であったチュニジアはイタリア系移民による領土回復運動が盛んであったが、トブルクの戦死者に捧げられた本曲と併せて見ても、作曲の標題上の題材に作者の北アフリカ戦線への強い関心が表れていると言えよう。
 本曲は前述のコンクール第2位の作品である。曲頭には”Ai valorosi caduti di Tobruk(トブルクの勇敢な戦死者に)”または”Ai gloriosi caduti di Tobruk(トブルクの栄光ある戦死者に)”との記述がある(本曲はパート譜の形で本邦にもたらされたが、パートによってこれら2種類のいずれかが記されている)。トブルクは第2次世界大戦中の北アフリカ戦線の主戦場であり、戦略上の重要な地点であった。開戦時にイタリア領であったトブルクは1940年末にイギリスの攻撃を受け陥落する。本曲における戦死者とは、1940年のトブルク陥落における戦死者であると推察される。砂漠の狐と呼ばれたドイツの著名なロンメル将軍が北アフリカ戦線に派遣されたのはこの後1941年の初頭である。これによって1942年の中ごろには再びトブルクは枢軸国が占拠するに至った。本曲が発表されたのは1941年であり、最初のトブルク陥落からロンメルによる反攻が始まる頃までに作曲されたと考えられる。すなわち、本曲はかつての戦場に捧げられた葬送曲ではなく、当時なおも戦場であり続けた地への葬送曲なのである。
 本曲は即興的で激しいMaestoso、穏やかに始まり徐々に高まりを見せるAndante Cantabile、行進曲風のSolenneの3つの部分からなる。楽式上の特徴として、Andante Cantabileの各部の調性設定が挙げられる。これは(ニ長調-ニ長調)-(中間部)-(ト長調-ニ長調)となるもので、提示部にはない調性対立が再現部に現れることに特徴がある。古典のソナタ形式では提示部における調性対立が再現部で緩和されることで対立から調和への変化が表現されるが、本曲のAndante Cantabileはその正反対であると言える。すなわち、ここで表現されるのは調和から対立への変化である。
 この構造は、史実と照らし合わせればその意図することが明白となる。激しい戦いによりトブルクは陥落するが、戦争はそこでは終わらない。一旦小康状態になったとしても、再びの戦いに向けて立ち上がるということである。戦争というパラダイムの中では、死者の命を無駄にしないということは戦争への勝利と同一視されてしまう。そうして勇敢で栄光ある戦死者は英雄となるのである。
 そこにあるのは、死者への弔いすら平和への希求ではなく新たな戦いへの道具となる悲しい現実である。しかしそれは単に70年前に起こった過ぎ去った現実であろうか? 過ちを繰り返さないと誓うためには、自らの過ちを認めることが必要である。本曲の存在は、現在にあってなお我々を映す鏡となるだろう。

参考文献:中野二郎著「いる・ぷれっとろ
Wikipedia, the free encyclopedia(英語版)Tunisian Italians
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』北アフリカ戦線
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夏の庭

夏の庭 – 黄昏
Giardino d’Estate, Crepuscolo (1941)
プリモ・シルヴェストリ
Primo Silvestri (1871.5.9 Modena〜1960.2.6 Modena)

作者は14才の時から音楽を学び始め、ギターをセミル教授について習い、その後ペザロの音楽学校教授ビアンキーニに和声、対位法とピアノを学んだ。モデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命され、その後モデナ・マンドリン合奏団を創設した。イル・コンチェルト誌の主幹としてイタリアマンドリン界を啓蒙した。マンドリン合奏曲として「静けき夜」、「夜の静寂」、「ノスタルジー」など多数の作品がある。
 本曲は前述のコンクールにおいて第3位を受賞した。
外形上の特徴として、イタリアのマンドリン合奏曲の中でも最大級である編成の大きさがある。原譜ではオッタヴィーノ(オッタヴィーノという楽器は現存が確認されていないが、古楽器においてしばしば解釈されるものとして「1オクターヴ高い楽器」、伊語においてピッコロの事、などとある事から、当時において、流通され得なかった当該撥弦楽器が存在したのかもしれない)、クワルティーノ2部、マンドリン6部、マンドラコントラルト2部、マンドラテノーレ3部、マンドロンチェロ2部、マンドローネ(バス)、ギター、トライアングル、シストロ(同名のエジプト起源の打楽器ではなく、音程のある鐘のような楽器)、ティンパニと、弦楽器のみでも18パートを数える。このうちオッタヴィーノ、クワルティーノ、マンドラコントラルト、シストロ、ティンパニにはAd libitumとの表記があり、現在この作品が取り上げられる際にはパートが省かれることも多い。今回の演奏ではオッタヴィーノとクワルティーノについてはマンドリンで代奏することで曲のもつサウンドを再現したい。なお、原譜でクワルティーノおよびマンドラコントラルトが4度移調楽器として書かれていることから、オッタヴィーノについてもオクターブ移調楽器として記譜されていると解釈した。
 オーケストレーション上の構成では、高音楽器のハーモニーに始まり、オーケストラ全体の豊かな響きを経て、再び高音楽器のハーモニーで曲を閉じるように書かれている。前述のように本曲は特に高音楽器に多くの楽器が割り当てられており、高音の分奏による響きの美しさは特筆すべきものがある。構成上ハーモニーの重心が高音から低音を経て高音へ遷ることは、青空が赤い夕焼けを経て夜の藍色に遷り変わる黄昏に喩えることができよう。
 曲は自由な形式に依るが、冒頭旋律に現れる2度下降形が曲全体に渡って用いられ、統一感を示している。ギター独奏で提示されマンドラテノーレ独奏で再現される主題は提示・再現ともに主調であるが、扱いは軽くエピソード的である。楽想の中心をなす主題は平行調、主調、主調、下属調の順に現れ、またその旋律も変化が大きい。ここから、本曲の構成は統一感をもたせながらも変化と遷り変わりに主眼を置いたものだと考えることができる。


参考文献:
中野二郎著「いる・ぷれっとろ
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2010年06月10日

第3部イントロ

 第3部では、第2次世界大戦中の1941年にシエナにおいて行われた作曲コンクールの入賞作品を3曲演奏する。このコンクールはOND(Opera Nazionale Dopolavoro)の主催により1940年と1941年の2度に渡って開かれたものの第2回にあたる。
ONDは労働者の娯楽機関として設立されたもので、設立後しばらくしてファシスト援助機関としての性質をもつようになった。ファシストの組織のうちでも最大の組織人員をもつものとなり、労働者の人気を博すものとなったが、政治的なプロパガンダとしての効果はナチスの同等組織には及ばないものであったらしい。
OND主催のこの2回のコンクールでは数多くの名だたる作品が世に送り出された。特に本日お送りする第2回のコンクールの入賞曲3曲はマンドリン音楽の至宝とも言え、イタリアロマン派によるマンドリン音楽の最後の輝きと見ることができる(同時の入賞曲としG. Terranovaの組曲「シチリアの水彩画」がある)。これらの曲は長く本邦では知られていなかったが、同志社大学OBの声楽家岡村光玉氏は留学のために1974年渡伊した後にこれらの楽譜を保持するシエナのアルベルト・ボッチ氏に懇願し、そのコピーを譲り受け日本に持ちかえった。それにより我々はこの重要な作品群を知ることができたのである。
第2回コンクールの行われた1941年は戦時中であり、イタリアにとっては終戦まで2年という特殊な状況下にあった。そのような激動の時代にあって生み出されたこれらの曲は、それぞれが芸術的な価値を有しながら、やはり時代との関わりを避けえずに存在している。今回の演奏会では3曲を同時に取り上げることで、これらの曲がどのように時代に寄り添い、あるいは対決しているのかを浮き彫りにしたい。


参考文献:
Wikipedia, the free encyclopedia(英語版) Opera_Nazionale_Dopolavoro
中野二郎著「いる・ぷれっとろ
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2010年06月09日

国境なし

独創的序曲「国境なし」
Senza Confini, Ouverture Originale (1905)
ジュセッペ・マネンテ 作曲 中野二郎 編曲
Giuseppe Manente / Rid. Jiro Nakano  (1867.2.2 Sannio〜1941.5.17 Roma)
 作者は斯界では知らぬ者はいないイタリアの作曲家。王立陸軍学校付属の軍楽学校にて音楽教育を受けた後、軍楽隊長を歴任した。この経歴から、作品は主に吹奏楽のために書かれている。マンドリン合奏のためにも多くの作品を残しており、その中には1906年のIl Plettro誌の第1回作曲コンクールで銅杯を受賞した幻想曲「秋の夕暮れ」や1908年の第2回作曲コンクールで上位佳作を受賞した序曲「メリアの平原にて」、1906年のシヴォリ音楽院の作曲コンクールで第2位を受賞した4楽章の交響曲「マンドリン芸術」などの重要な作品が含まれる。マネンテの作曲において演奏媒体は二義的なものであったようで、最初に吹奏楽で作曲され後にマンドリン合奏に編曲された序曲「小英雄」(Il Plettroの第4回作曲コンクールで第2位を受賞している)や、その反対にマンドリン合奏のために作曲されて吹奏楽に編曲された「メリアの平原にて」が存在するなど、作曲者自身による作品の編曲が多く存在する。故中野二郎氏は戦前にマネンテと文通による交流があった。戦後、中野氏によって本曲など多くの作品が吹奏楽からマンドリン合奏へ編曲されている。
 本曲は歩兵第3連隊の軍楽長時代に書かれた作品で1905年に出版されている。作曲者の経歴や曲の構成から、『国境なく進軍する軍隊への賛歌』といった意味合いがあると考えられる。
 本曲の楽曲形式は展開部が無く第1主題と第2主題の順序が入れ替えられたソナタ形式であると見ることができる。ソナタ形式において第1主題と第2主題の順序を入れ替える手法は本作品の後に作曲されたと考えられる「マンドリン芸術」の第1楽章にも見られるものであり、その比較から作曲者の楽式観の変遷が見て取れる。「マンドリン芸術」においては第2主題の提示の前に主調による序奏が設けられているため曲頭と曲尾(ただし第1楽章の内部のみ)の調性が一致しているが、本曲においてはそのような序奏が無いために曲頭が主調ではなく下属調の平行調となり、楽式のもつ特異性がより直接的に表現されている。これによって、冒頭における下属調の平行調での第2主題の提示と、それに引き続く全て主調での第1主題(AとB)の提示と第2主題の再現、第1主題の再現との間に対比が際立つこととなる。異質であったものを同化するようなこの構造は、すなわち国境を取り払い、領土を拡げていく点で、まさに「国境なし」という動きと同一である。
 曲は前述のように下属調の平行調である変ホ長調に始まる。冒頭の第2主題はエピソードを挟む三部形式に依り、Andanteであってテンポの面でもAllegro vivoである他の部分と対比がされる。流れるような旋律の中にエネルギーを内包した第1主題Aは主調であるト短調、行進曲風の第1主題Bは同主調であるト長調で提示される。第2主題の再現はAllegro vivoのテンポのまま同主調で行われ、その後第1主題ABがほぼ型通りに再現される。

参考文献:中野二郎著「いる・ぷれっとろ」
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2010年06月08日

the seventh islands

the seventh islands(2002, 改訂2006)
遠藤秀安
Hideyasu Endo(1970 Nagoya〜)

作曲者は名古屋市生まれ。愛知県立大学のギターマンドリンクラブに所属し、卒業後、保育士、学童保育指導員を経て、愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻を卒業した。越野宏之、寺井尚行の各氏に師事。2008年より愛知県立芸術大学非常勤講師の職についている。
1999年「マンドリンオーケストラの為の『懶(らん)』」で日本マンドリン連盟の第6回マンドリン合奏曲作曲コンクールで第1位を受賞した。マンドリン合奏のために多く作曲および編曲を行っており、作曲作品としてSpica’s SpankerやAQUA EXPRESSなどがある。

―作曲者記―
「the seventh islands」は、あえて訳すならば「第7諸島」でしょうか。
曲の中には「7」がちりばめられており、構成も7つに分けることができます。
まず、ゆったりと音の群れが流れていき、日の出とともに島の遠景が浮かび上がります。
次にリズムを刻み始めたところで人々の暮らしが始まり、普段と変わらぬ一日が過ぎていきます。
夕暮れの景色は、少し切ない気持ちを呼び起こし、
陽気なシチリアーナでは、のんびりとした休日が描かれます。
その後、ギターのdiv. によって夜の帳が降りて、
続くコントラバスのメロディが夢の世界へと誘います。
そしてフィナーレとなり、見知らぬ島への旅は終わります。
日常とは少し離れた時間の中に、それぞれの楽園を想い、楽しんでいただけたら嬉しく思います。
(名古屋大学ギターマンドリンクラブ第49回定期演奏会プログラムより)

 本曲は京都教育大学マンドリンクラブの委嘱により2002年に作曲され、2006年に名古屋大学ギターマンドリンクラブでの再演にあたり改訂された。7という数字をキーワードに作曲され、旋法の7つの音、7拍子、メジャー7thの和音などの7に関連した音楽要素が盛り込まれている。
曲は冒頭コントラバスによって提示される旋律を中心的な主題としながら、作曲者記にある7つの部分からなる接続曲風に構成されている。様々な要素が詰め込まれているこの曲は、おもちゃ箱をひっくり返したように次々と現れる展開が各々関連性が無いようでいて、7というキーワードで繋がっている点やフィナーレでこれらのエピソードがエンドロールのように俯瞰される点が実に楽しい。複雑な中にも透明感を感じさせる筆致はシンプルにして他には無い得難い響きを獲得しており、濁りをもつ大栗の音楽の対極と言えるだろうし、対位法的な旋法の扱いはボッタキアリの和声的なそれとの違いを楽しませるなど、本日のプログラムの他の曲との聴き比べも面白い。

参考文献:
遠藤秀安氏のホームページ
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「まわき」(MAWAKI)(2009年改作版)

歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。 その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。 またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、 現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。 作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。 近年では中国民族音楽やアボリジニに伝承される音楽などにも造詣を深めており、海外でもその作品は紹介されている。 1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。

 本曲は、金沢大学マンドリンクラブの委嘱により1984年に作曲された。初版時の構成にはマンドローネが含まれていなかった為、今回の演奏にあたり、当団の編成に合わせてマンドローネの加筆をお願いしたところ、マンドローネの加筆は勿論のこと、多数のハーモニーの変更(パート間でのフレーズの入れ替えが多い)、繰り返しの指定追加(小節の追加)、シロホンのフレーズ変更、等、曲全面に渡っての変更が成されてのご提供を頂き、「既に”改訂”の域を超えており、”改作”と呼ぶのが適当」との作者のお言葉の元、今回「2009年改作版」として演奏させて頂くことになった。

 題名の「まわき」とは、能登半島の先端から少し内海に入ったところにある入江の奥に位置する地。この地において、1982年から1983年にかけて発見された、縄文時代前期から晩期にいたる集落跡の遺跡が、本曲の題材である「真脇遺跡」。約6000年前から約2000年前まで、採集・漁撈の生活を営む集落があったものと考えられており、大量のイルカの骨が発見されていることから、イルカ漁がさかんに行われたと考えられている。又、長さ2.5メートルもある巨大な彫刻柱、土偶、埋葬人骨、日本最古の仮面なども発掘されており、独特の縄文文化が形成されていたようである。

 曲は、あたかも縄文の時代へ誘うようなギターの刻みから始まる。語られているのは縄文真脇の人々の生活。イルカ漁に代表される狩猟の躍動感、集団でのシャーマニズム的祈り、などを縦糸として、光と闇、生と死を横糸として織り成すことで表現されている。素朴であり、土着的であり、崇高であり、透明である。縄文の世を「たゆとうている」内に、曲は落ち着きを取り戻し、あたかも縄文真脇が遠ざかって行くかの如きdecresc.を介して、極めて柔らかく、静かに幕を閉じる。

 ”「傍観者的」或いは「よそ者的」な立場を取らず、「溶け込んで一体となった」という「目線」を忘れないで”

 上記は、本曲の作曲イメージを問うた筆者に対する、作者の回答であり、本曲の基本的・本質的な事である、との事。「溶け込んで一体となった」=縄文時代へ身を振った後、想起されるイメージは指揮者・奏者によって色々であろうとも言われている(正確には「色々であって良い」・・・帰山氏の曲を演奏するにあたっては、筆者はこの類の質問を必ず氏にぶつけてみるのだが、それに対する氏のご回答は一貫しており、作曲時のイメージをご教示頂いた上で「作者のイメージはイメージの一つに過ぎず、指揮者・奏者のイメージで演奏してもらえれば」とお答えを頂いている)。だが、イメージは多々あれど、それを突き詰めていくと、結局行き着く先は、縄文とは現代日本人のルーツである、と言うことでは無かろうか?
 作者が本曲(の原版)を作曲されてから26年、その間、日本の、あるいは世界の情勢は考えられないくらいに変化しており、ましてや昨今の社会情勢は”激動”の一言で語ることを許されないくらいに日々変化している。だが、「我々は日本人である」と言う事実は、何年経とうと変わることは無い。この時代に、もう一度現代日本人のルーツへ思いを馳せ、日本人であることを見つめ直してみる事は、決して無駄なことではあるまい、と筆者は考えるが、如何なものであろうか?

参考文献:
帰山栄治普及振興協会編『帰山栄治作品解説集』
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より「真脇遺跡」
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2010年06月06日

シンフォニエッタ第7番「コントラスト」

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタ第7番「コントラスト」(1981)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri(1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

 作者は生涯を関西を中心とした日本音楽界の為に捧げた日本のクラシック音楽史上の大功労者。朝比奈隆に師事し、41年旧東京交響楽団にホルン奏者として入団したのを皮切りに、多くの楽団に在籍、大阪音大講師に就任した。作品には関西歌劇団により初演された「赤い陣羽織」、朝比奈・ベルリンフィルにより初演された「大阪俗謡による幻想曲」等の管弦楽曲、「神話」などの吹奏楽曲、現代邦楽等多方面に作品を残した。「浪速のバルトーク」の異名を誇り、舞曲調の作品や、日本人の土俗的かつ原始的な感情に根ざした作品は独自の世界を築き上げ、日本の近代音楽史上でも特筆すべき存在である。57年には『大阪府音楽賞』も受賞、大阪市音楽団(吹奏楽作品)や大阪フィルハーモニー管弦楽団(管弦楽作品、Naxos日本作曲家選輯の3枚目として)による作品集のCDがリリースされている。
 マンドリンオーケストラのためには「シンフォニエッタ第1番〜第7番」をはじめとした純器楽の他、音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、総数は約40曲にも及んで作者の作品の中でも多くの割合を占める。その多くは作者が技術顧問にあった関西学院大、京都女子大、名城大のマンドリンクラブで初演されている。
 コンコルディアでは今回の定期演奏会より1回に1曲ずつシンフォニエッタをとりあげることとした。大栗氏のマンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタは7曲(および編成違いのサブナンバー1曲)が作曲されている。それぞれ標題を有しないもの(第1番、第5番)、叙事的な標題を有するもの(第3番「ゴルゴラの丘」、第4番「ラビュリントス」、第6番「土偶」)、音楽的な内容を示唆する標題を有するもの(第2番「ロマンティック」、第7番「コントラスト」)があり、ソナタ形式等を用いた3楽章の形式を雛形としながら作曲者の音楽性が表現されている。少なくとも初期のものについては、マンドリン音楽に前衛的なレパートリーを提供するという意図が含まれていたらしい。
 今回取り上げるシンフォニエッタ第7番「コントラスト」は、シンフォニエッタシリーズの最後の作品であるとともに、作曲者の最晩年の作品である。シンフォニエッタのシリーズ中唯一管楽器を含まないという編成上の特徴がある。シンフォニエッタのシリーズは第3番と本曲を除いて全て関西学院大学マンドリンクラブの委嘱・初演作品であるが、本曲は名城大学ギターマンドリン合奏団にて委嘱された。本来は同年に関西学院大学の定期演奏会にて新作を発表する予定であったが、病床にあった作者は新たな作曲ができず、関西学院大学マンドリンクラブの当時の指揮者の協力の下で本作に管楽器を加筆することで代替としたという逸話が残っている(この版には第7+1/2番というナンバーが与えられている)。
 本曲はシンフォニエッタシリーズの他の例に漏れず3つの楽章からなり、急-緩-急の構成を取る。第1楽章は波瀾を予感させるような序奏に始まる。ソナタ形式に依る(作者曰く)が、ニ短調で提示される躍動感のある第1主題、平行調のへ長調で提示される穏やかな変拍子の第2主題は、いずれも繰り返し記号によって再現され、再現における調性上の対比解消はないため、あくまで対比に主眼がある楽式と見ることができる。第2楽章は古代的な雰囲気をもち、5拍子の静かな主題とやや情熱的な中間部からなる三部形式であり、第3楽章へアタッカでつながれている。第3楽章は軽快なロンドである。
 本曲の標題「コントラスト」については様々な捉え方が可能であろう。そもそもソナタ形式やロンド形式において主題間または主題とエピソードの間にコントラストをもたせることはよく行われるが、本曲にもそれらのコントラストを強調するようなつくりが見られる。一方で、西洋的なものと東洋的なもの、あるいは古典派的なものと”大栗的”なものとのコントラストという視点で本曲を見るのも興味深い。実際、第3楽章のロンド主題などはこの作者のものとしては例外的なほどに明るく快活で、エピソードに見られるような短調と長調の和音を重ねた濁った響きとは対照的である。人生の最後にあった作者は、西洋的古典派的なものとの対比という方法で自分の音楽を見つめなおしたのかもしれない。
posted by コンコルディア at 21:53| Comment(0) | 過去の定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする