2015年06月19日

組曲「田園にて」

組曲「田園にて」
In Campagna, Suite in quattro tempi,Op.56(1928)
ジュリオ・デ=ミケーリ 作曲 石村 隆行 編曲
Giulio De Micheli (1889.9.26 La Spezia〜1940.9.30 Covo) / Rid. Takayuki Ishimura

I. Alba estiva(夏の夜明け)
II. Il torrente(急流)
III. Sotto i castagni(栗の木の下で)
IV. La Sagra(祭)

 作者はイタリア北部のリグリア州ラ・スペツィア生まれの作曲家でヴァイオリニスト。5歳の頃からヴァイオリンを学び、15歳で学位を取得した後、パルマのボイト音学院に移りロメオ・フランツォーニ氏に師事した。5年後には最高の成績で教授の資格をとったが、そのまま音学院に残り、イターロ・アッツォーニ氏(第二小組曲献呈)に師事して対位法を学んだ。26歳の時にブリュッセルのトムソ音楽学校に入学し、ヴァイオリンのヴィルトゥオーソとして大賞を得たのに続き、チューリヒ音学院校長のアンドレア・フォルクマー氏(第三小組曲献呈)に師事し作曲を学び、同地の管弦楽団の指揮者となった。しかし1927年には彼の宿病となった狭心症を発症。友人の出版社社長カルロ・ベルトラモの勧めでイタリアに帰国し、演奏活動をやめ、生地に定住して作曲活動に後半生を捧げた。晩年はベルガモ近郊のコヴォに移り住み、持病の発作で没した。コヴォの街では彼を追悼して、街の通りに彼の名を冠して偲び、彼の墓地には『いつも枯れる事のない美しい調べの創造者、マエストロ・ジュリオ・デ=ミケーリ、この家に眠る。生誕地ラ・スペツィアの誇り、彼が眠るコヴォの誇り。』と碑文が刻まれている。
 作品の数は約160曲を数え、その多くが管弦楽の為の作品で、当時彼の作品をレパートリに入れないオーケストラは無い程だったといわれている。その作品の全貌は作者の遺族から石村氏に送られた資料で明らかになりつつあるが、代表作には「舞踏組曲」、「アルカディア組曲」、「エジプトの幻影」等、15の小組曲や、2つの交響的前奏曲、8曲のオペレッタ等がある。
 彼の音楽の根幹をなす特徴は『詩的な音楽』であり、夢幻的な和声や半音階的な手法と叙情性の絶妙のバランスは特筆に値するものである。景色、詩、太陽の光、鐘の音、絵画など全てが彼の着想の為に存在し、彼は常に思いついた楽句を身近な(紙巻き煙草の包みにまで)紙に書き付け、インスピレーションを膨らませたという。また後年にはその音楽芸術は教会音楽の方面でも発揮され、4曲のミサ、宗教的詩曲、レクイエム、などが発表されている。
 本曲は1928年にイタリアはサン・レモの出版社ベルトラモより出版された作品で、彼のイタリア帰国後間もない頃のもの。一連の小組曲の直後の作品番号でもあり、彼の前半期の作品の総決算とも言える大作である。4つの楽章はそれぞれソナタ形式、展開部のないソナタ形式、三部形式、ソナタ形式であって全体としてソナタ構造(管弦楽によるソナタ)をなしており、この作者の作品としては形式美を重視した構成であると言える。
 第1楽章は3/4、変ト長調である。第1の主題はハ長調をベースにしたややあいまいな調性で提示され、第2の主題は嬰へ短調で提示される。主に第1の主題からなる展開部を挟んで、再現部では第2の主題が変ト長調で再現された後、第1の主題が変ト長調で再現される。主調で提示されて主調で再現されるという意味では第2の主題が形式上の主要主題であるが、同主調(しかも異名同音)への移調によって微妙なニュアンスが生まれている。第2楽章は6/8(一部9/8)ホ短調で、快速なスケルツォ風の楽章。細かい動きの第1主題は主調のホ長調で、のびやかな第2主題は属調のロ長調で提示され、再現はどちらも主調で行われる古典的な形式である。第3楽章は4/4変イ長調の主題と3/4ホ長調の中間部からなる穏やかな緩徐楽章である。第4楽章は4/4の第1主題と6/8(2/4)の第2主題からなる自由なソナタ形式ととらえることができる。冒頭の第1主題はハ長調で提示され、その一部は拍子を変えてからヘ長調の副主題となる。その後嬰ヘ長調-ニ長調の第2主題提示、ヘ長調の副主題再現、主調のハ長調における第2主題の再現および第1主題の再現が行われる。
田園地帯の夜明けから、木々のざわめき、小鳥のさえずりが聞こえはじめ、小川のせせらぎは軽妙に笑い声をたてる。居眠りをしている栗の木の下ではときおり、その実が落ちて転がる。そして収穫の時期を迎えた村には賑やかな祭りの鐘が鳴り響く。曲の冒頭から眼前に広がる田園地帯の風景はそこが演奏会の場で或ることさえ忘れさせてくれるものであろう。

参考文献:アルバムフィロドリーノ3 (石村隆行)
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凱旋行進曲

凱旋行進曲
Marcia Trionfale (1898)
ジュセッペ・マネンテ 作曲 石村 隆行 編曲
Giuseppe Manente (1867.2.2 Sannio〜1941.5.17 Roma) / Trans. Takayuki Ishimura

 作者は斯界では知らぬ者はいないイタリアの作曲家。王立陸軍学校付属の軍楽学校にて音楽教育を受けた後、軍楽隊長を歴任した。この経歴から、作品は主に吹奏楽のために書かれている。マンドリン合奏のためにも多くの作品を残しており、その中には1906年のIl Plettro誌の第1回作曲コンクールで銅杯を受賞した幻想曲「秋の夕暮れ」や1908年の第2回作曲コンクールで上位佳作を受賞した序曲「メリアの平原にて」、1906年のシヴォリ音楽院の作曲コンクールで第2位を受賞した4楽章の交響曲「マンドリン芸術」などの重要な作品が含まれる。マネンテの作曲において演奏媒体は二義的なものであったようで、最初に吹奏楽で作曲され後にマンドリン合奏に編曲された序曲「小英雄」(Il Plettroの第4回作曲コンクールで第2位を受賞している)や、その反対にマンドリン合奏のために作曲されて吹奏楽に編曲された序曲「メリアの平原にて」が存在するなど、作曲者自身による作品の編曲が多く存在する。戦後、故中野二郎氏らによって多くの作品が吹奏楽からマンドリン合奏へ編曲されている。
 行進曲はマネンテが得意としたジャンルで、多くの作品が残っている。凱旋行進曲と銘打たれた曲は本曲の他に後年作曲された「恵まれた結婚」がある。本曲はマネンテの作品の中でも最初期に属するものであるが、長3度の転調を3回繰り返して元の調に戻る循環的転調、主調提示の主題を主調以外の主題よりも後に提示する独自のソナタ形式、2つの主題を対位法的に融合させる手法など、作者の代表的な作曲技法をつぎ込んだ意欲的な作品である。
 本曲の主調はニ長調である(原曲は変ホ長調)。主題は4つあって、循環的転調による主題A、順次下降を軸とする主題B(後年の「恵まれた結婚」の主要動機と関連性を感じることもできる)、雄大な主題C(第1主題に相当)、穏やかな主題Dからなる。提示はA(ヘ長調-イ長調-変ニ長調)、B(変ニ長調)、C(ニ長調)、D(変ロ長調)の順番に行われる。その後、やや展開されたA(変ロ長調-ニ長調-嬰ヘ長調)が挟まれた後に、提示と同形のB(変ニ長調)が奏される。その後Dがイ長調で奏されるが、ここで対旋律としてAが現れる。この対旋律のA(イ長調)は、そのまま循環的転調(イ長調-変ニ長調-ヘ長調)の一部となる(ここでDはAと融合するためか、主調での再現は行われない)。そしてC(ニ長調)がSostenutoで再現される。その後は拍子を4/4から2/2に変えて、A(ニ長調-ヘ長調)、B(ニ長調)が簡略的ではあるが主調で再現される。

参考文献:中野二郎著「いる・ぷれっとろ」http://homepage1.nifty.com/yasu-ishida/
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2015年06月18日

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタNo.3「ゴルゴラの丘」

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタNo.3「ゴルゴラの丘」
(1975)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri (1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

I. Andante – Allegro
II. Lento
III. Allegro – Andante

 作者は生涯を関西を中心とした日本音楽界の為に捧げた日本のクラシック音楽史上の大功労者。朝比奈隆に師事し、1941年旧東京交響楽団にホルン奏者として入団したのを皮切りに、多くの楽団に在籍、大阪音大講師に就任した。「浪速のバルトーク」の異名を誇り、日本人の土俗的かつ原始的な感情に根ざした作風でオペラ、管弦楽曲、吹奏楽曲等、多くの分野で作品を残した。1958年に大阪府芸術賞、1991年に日本吹奏楽アカデミー賞を受賞。没後30年に当たる昨年には記念演奏会などが多数催された。マンドリンオーケストラのためにはシンフォニエッタを始めとした純器楽のほか音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、その総数は約40曲にも及んで作者の作品の中でも多くの割合を占めている。
 コンコルディアでは大栗のマンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタを全曲演奏に向けて定期演奏会にて継続的にとりあげており、今回はその4回目に当たる。今回取り上げるシンフォニエッタ第3番「ゴルゴラの丘」は、1975年に福岡マンドリンオーケストラ第10回定期演奏会にて初演された(その後、同団体で第20回定期演奏会に置いて再演されている)。大栗のマンドリンオーケストラ作品は関西学院大学、京都女子大学、名城大学、帝塚山学園中高という作者に関連の深い学生団体で初演されているものが多く、市民団体で初演された本作は例外的である。同年に初演されたシンフォニエッタ第4番「ラビュリントス」とは、同時並行で作成が進められていたようである。
 大栗のシンフォニエッタは7曲(及び編成違いのサブナンバー1曲)が作曲されており、ソナタ形式等を用いた3楽章の形式を雛形としながら作曲者の音楽性が表現されている。大栗のシンフォニエッタでは第1楽章に明確なソナタ形式の楽章を配置することが多く(第3楽章にもソナタ形式が配置されることがあるが、こちらはやや自由な扱いをされることが多い)、本作もそのようになっている。大栗のソナタ形式は古典のそれと異なり調性対立を重視せず再現部が忠実にリピートされることが多いが、本作の第1楽章は第2主題が再現部で移調されており特徴的である。第3楽章の第2主題は第1楽章の主題と関連性がもたされており、再現部では第1楽章の主題が引用される。
 ゴルゴラの丘は作曲者自筆解説にもあるように中央アジアの叙事的な素材を標題としたものである。大栗と言えば音素材においても標題においても日本的な題材を用いる作風がイメージされるが、マンドリン音楽のためには本作の以前にも独唱とマンドリンオーケストラの為の組曲「若きロブの女王」という中央アジアを標題の題材とした作品があり、そこには作者の若いころからの中央アジアへの夢が表れている。同時期に書かれた2つのシンフォニエッタでいずれも叙事的な標題を持って一方(本曲)は中央アジア、他方(ラビュリントス)はギリシャとあえて日本を離れた題材を用いたところは興味深い。

参考文献:日本の作曲家―近現代音楽人名事典(日外アソシエーツ, 2008)、マンドリンオーケストラコンコルディア第26回定期演奏会パンフレット
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初夏のうた

初夏のうた (1974)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。
その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。
 またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、 現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。 作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。
 本作は作者が学生時代から書き進めて来た「マンドリン合奏の為の三楽章」や一連の序曲が一段落した1974年に作曲されている事や、本拠とする名古屋大学ではなく岐阜大学からの委嘱である事などから、それまでの力の入った大作指向から、少し趣の違った作品となっている。
そもそも「初夏」とはいつの事を指すのであろうか。旧暦で「初夏」は4月の事であるから、現在では5月から6月の頃を指すものと思われるが、立夏から始まり芒種までを言うという説も見受けられる。いずれも二つの季節の端境という事と思われるが、それが作品を象徴するBbとCをはじめとする二度の和音を意図的に重ねて積み上げていく和声構造から感じ取る事が出来る。
 作品はフルート、クラリネットを含み、これら管楽器が音楽に彩りを与えており、更に唯一用いられる打楽器であるトライアングルが非常に効果的で、この2つの響きがあたかも水墨画をカラリゼーションしたかのような効果を生んでいる。初夏の「萌え出る緑」「小鳥のさえずり」「小川のせせらぎ」といった風景を眼前に彷彿とさせる魅惑的な旋律美に溢れている一方、一転して後半には縦に揃った強烈なリズムから疾走感のあるAllegroとなっており、大自然の峻厳な姿も感じとる事が出来る。美しい旋律と複雑な和声やリズムの組み合わせの妙は、この時期の帰山氏ならではのもので、二つの季節だけでなく、異なるリズムの共存、同じ旋律を異なる拍節で表現するなど、1990年に近く、氏が「三楽章第4番」で描いたアンビバレンツを先取りしたものというとらえ方も出来るのではないだろうか。
 なお、本作には同時に作曲された「初秋のうた」という双子の作品があるが、本作とは対照的に調弦から音楽が始まるなど、斯界においては特殊とも言える記譜によるチャンスオペレーションの要素を含んだ作品であり、祭り囃子の狂乱も聴かれるが、非常に難解を究め、同年の東マン、全マンでの演奏以降演奏機会を得ていない作品である。
参考文献:帰山栄治普及振興協会編「帰山栄治作品解説集」http://www.bass-world.net/cgi-bin/kaeriyama_works/wiki.cgi
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2015年06月16日

マンドリンオーケストラの為の群炎II

マンドリンオーケストラの為の群炎II
(1972)
熊谷 賢一
Kenichi Kumagai(1934.2.16 Yokohama〜)

 作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。
マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズI〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、氏の作品を初演するなど縁の深いプロムジカマンドリンアンサンブル(広島)の創立者であった高島信人氏の働きかけや斯界からの熱心な要望もあり、現在では作者との適切な手続きを踏まえて演奏が可能となっている。
 本曲は1971年に作曲者にとって最初のマンドリン合奏のための作品である群炎Iを発表した後に書かれた2作目の作品であり、同年に名古屋学院大学マンドリンクラブにて初演された。その後改訂が行われており、本日用いる楽譜は改訂後の版である。本曲は6曲あるマンドリンオーケストラのための「群炎」の中で最も規模が小さいが、主題間の関連性を軸とした綿密な構成感や前作群炎Iの主題の引用など、非常に密度が高い作品である。
 曲は密接に動機を共有する2つの主題(順にAとBと呼ぶ)を有しており、外形上は鏡像風の三部形式に近い。冒頭不協和音の単打が重なりつつ高まりゆく中で、第1マンドリンによって2度の動きが示される。この動きが一旦収まった後、主題Aがマンドラによって提示される。この主題の旋律は日本の5音音階である陽音階を用いたもので、2度下降して2度上昇する部分動機(この動きはそれまでに既に用意されている)、および3度上昇して3度下降する部分動機が重要なものとなっている。その後、歌謡的な主題Bが提示される。この主題は主題Aと主要な部分動機を共有するものであって、調とオーケストレーションを変えながら繰り返し演奏される。エピソードを挟んで、主題Aがテンポと拍子を変えて現れ、その後に主題Bはややテンポを速めて再現される。最後に冒頭の不協和音のリズムの中で主題Aが再び現れるが、その旋律の前には群炎Iの主題の断片が付与されており、この2つの曲の関連性を示している。
 
参考文献:音楽家人名事典 新訂第3版 (日外アソシエーツ, 2001)、マンドリンオーケストラコンコルディア第32回定期演奏会パンフレット、邦人作曲家・マンドリンオーケストラ作品リストhttp://homepage3.nifty.com/chocchi/Composer/composer_frame.html
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アーベントムジーク

Abendmusik, Vier Canzoni für Zupforchester (1949)
クルト・シュヴァーエン
Kurt Schwaen (1909.6.21 Kattowitz 〜 2007.10.9 Berlin)


I. Allegretto
II. Moderato (Andantino)
III. Poco mosso
IV. Vivo

 作者はドイツの作曲家。1923年からFritz Lubrich(Max Regerの教え子)にピアノ、オルガンと音楽理論を習う。1929年から1933年までベルリンとブレスラウの大学で音楽学、芸術史、哲学、ドイツ語を学ぶ。1934年からはピアノ教師として活動するが、ナチの活動に反対したために1935年から1938年まで投獄された。戦後は民族音楽学校の設立に貢献するとともに、音楽講師として活躍した。その後東ドイツ作曲家音楽家協会、著作権保護団体や東ドイツ民族音楽協会、ドイツ芸術アカデミーなどで要職を務めた。
 様々なジャンルや楽器のために創作を行い、その主たる作風は調性に根差した新古典主義である。マンドリン合奏(Zupforchester)のためにはKonrad Wölkiの勧めで1948年にDrei Sätze, Op.24(三楽章)を作曲して以降、継続して作曲を行った。独奏を伴うZupforchesterやマンドリン独奏のための作品なども多数ある。
 本曲は作曲者にとって最初のマンドリン合奏のための作品であるDrei Sätzeを発表した後に書かれた2作目の作品であり、ライプツィヒャーラウテンギルデ(ライプツィヒリュート組合)の指導者であったErich Krämerの依頼で作曲され1949年に発表された。その後1980年の出版に際しては第4楽章の終結部に改訂が行われており、本日用いる楽譜は改訂後の版である。今回の演奏に際しては、マンドロンチェロの加筆を行った。
 アーベントムジークとは直訳すると夕べの音楽という意味で、宗教的な色彩を持って教会で行われる夕べの演奏会を指す。特に17世紀にリューベックのセントマリーチャーチでクリスマス前の5回の日曜に夕べの演奏会を行う習慣があり、その演奏会を指した(そこでオルガンで演奏される曲を指すこともある)。副題に4つのカンツォーネとあり、カンツォーネはイタリアの歌を指すとともに器楽曲のジャンルではソナタの前身となった16〜17世紀の形式を指す。ヴェルキは、この曲におけるカンツォーネは「無言歌」という意味と解釈できるとコメントしている。

Wikipedia, Die freie Enzyklopädie (ドイツ語版) 
http://de.wikipedia.org/wiki/Kurt_Schwaen
本曲の楽譜添付解説(Konrad Wölki)
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組曲第1番

組曲第1番
Suite Nr.1 für Zupforchester, Op. 29 (1935)
コンラート・ヴェルキ
Konrad Wölki (1904.12.27 Berlin 〜 1983.7.5 Berlin)


I. Präludium
II. Courante
III. Sarabande
IV. Gavotte
V. Gigue

 作者はドイツの作曲家、マンドリン奏者で、マンドリン合奏の地位向上に貢献した。12歳の時にベルリン王立オペラ児童合唱団のメンバーとなった。18歳の1922年にマンドリンオーケストラフィデリオを結成した。この合奏団は何度か名称変更して、最終的に1937年にベルリナーラウテンギルデ(ベルリンリュート組合)という名前になった。1934年から1940年までシュテルン音楽院で撥弦楽器を教え、1948年から1959年までライニッケンドルフの市民音楽学校を指導するなど教育方面で活躍した。ヴェルキは多数の作曲や編曲、マンドリンの歴史の研究、マンドリン教本の出版などを通じて撥弦楽器の認知度を高めた。
 作風は初期には大編成のロマン派、中期は小規模なバロック風、後期は近代的な和声やリズムを取り入れて、晩年には全日本高等学校ギター・マンドリン音楽振興会との交流を通じて原点回帰した(中期に作曲された本曲は、このつながりでギター合奏用にも編曲されている)。
 ドイツのマンドリン合奏曲は初期においてはトレモロ奏法の多用や管楽器などの導入を含めた大編成化によるオーケストラ志向が強く、ヴェルキの初期の作品はその中心的存在であった。その中で1933年にHermann Ambrosiusが組曲第6番を作曲し発表すると、そのピッキング主体の奏法、小編成の響き、新古典主義などの作風に可能性を感じたヴェルキらが追従し、現在のドイツにおけるツプフ音楽の流れの原点となった。アンブロジウスの音楽がいかにエポックメイキングであったかは議論の余地が無いが、既にドイツのマンドリン音楽において地位を築いていたヴェルキの追従はそれが全体に波及する上で特別の意味があることであったに違いない。
 本曲は組曲第6番の影響を受けてヴェルキが作曲した作品であり、擬古典的な形式やピッキング重視(トレモロ奏法は本曲では完全に排除されている)などの特徴が端的に表れている。後に作曲された組曲第2番Op.31が同様の作風を持ちながらもより自由に昇華しているのに対して、本曲には作者にとっての新しい作風に厳格であろうとする姿勢が感じられる。ヴェルキはマンドリン合奏用にGeorg Friedrich Händelのクラヴィーア組曲第2集第4番HWV437を編曲しているが、それを研究することを通じてバロック様式を学んだと考えられ、本曲の舞曲様式にはその曲との類似性が強く表れている。作者の没後、埋葬の際にはかつてのラウテンギルデのメンバーが本曲を演奏したという。
 本曲は古典組曲(バロック舞曲による組曲)の形式を持ち、前奏曲、クーラント、サラバンド、ガヴォット、ジーグの5つの楽章からなる。古典組曲の基本舞曲から最初のアルマンドが省略されており(その代わりに前奏曲が置かれている)、間奏舞曲にはガヴォットが選ばれている他、ジーグの直前にはサラバンドのリズムによる短い間奏Zwischenspielが挿入されている。舞曲の様式は前述のようにヘンデルのクラヴィーア組曲のそれを基本としているが、バロック様式からの逸脱も見られる。それはヴェルキの個性であり、本曲のバロックパスティーシュとしての魅力である。

参考文献:
Wikipedia, Die freie Enzyklopädie (ドイツ語版) http://de.wikipedia.org/wiki/Konrad_Wölki
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2014年06月14日

マンドリンオーケストラの為の群炎Y「樹の詩」

マンドリンオーケストラの為の群炎Y「樹の詩」(1984)
熊谷 賢一
Kenichi Kumagai(1934.2.16 Yokohama〜)

 作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズT〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、氏の作品を初演するなど縁の深いプロムジカマンドリンアンサンブル(広島)の創立者であった高島信人氏の働きかけや斯界からの熱心な要望もあり、現在では作者との適切な手続きを踏まえて演奏が可能となっている。
 本作は1984年、広島のノートルダム清心中学・高校マンドリン部の委嘱で作曲された。現在のところ、群炎X「祈りと希望」と合わせ作者後期の最大作かつ集大成と言ってもいい作品である。この二つの作品はいずれもが「反戦・反核」といった熊谷氏の音楽上のテーマを陰と陽の二つの側面から描いた作品群として興味深いものがある。群炎Xが複雑なハーモニーの中に一筋の光を見いだすシリアスな作品であるのに対し、本作は素直でおおらかな楽想に溢れた抒情性豊かな作品である。
 本作で描かれているのは 「百年は草も生えない」と言われたヒロシマの地に、樹々が再生していく姿に、人と街の復興を重ねた情景である。美しい広島の原風景、街の再生に向けひたむきに繰り返される労働、そして緑が甦る街。ギター合奏やマンドリン属だけの合奏、ソロ奏者によるアンサンブルと響きの質に巧みにバリエーションを付けながら、自然・人々・街が共に共鳴しあいながら現代にいたる再興を遂げていく叙景的な様は群炎の系譜としては異質にも映るが、根底に流れる力強いエネルギーと主題の変容する様はまさに群炎そのものと言えるだろう。冒頭ギター合奏で演奏される本作全体を彩る主題は作者が十数年に渡り積み重ねたマンドリン合奏作品による「歌唱表現」の到達点であろう。
 熊谷作品が描くものは、あるものは「河」だったり「風」だったり、またあるものは「大地」であったりと叙景的に映るが、共通している真のテーマは「人間」であり「人間讃歌」である。そしてその人間が産み出してしまった兵器の廃絶と「平和への祈り」である。これこそが熊谷氏が音楽を書き続けてきた理由であり、すべての「歌」はこの「祈り」に通じている事を忘れてはいけない。
 シリアスかつ斬新な響きの前期作品とある意味対極にあるとも言える後期の熊谷作品。「歌」を紡いで「祈り」続けてきた熊谷作品には、おおらかな心と豊かな感受性に裏付けされた「うたごころ」が脈々と息づいている。コンコルディアは熊谷氏がその音楽人生をかけて産み出してきた「歌」と「祈り」を大切に守り、伝えていきたい。

解説:横澤恒
参考文献:明治学院大学マンドリンクラブ第25回定期演奏会パンフレット
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Ouverture Historique

Ouverture Historique (1970)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。 1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在十数曲を数えている。
 作者のライフワーク言っても過言ではない「Ouverture Historique 」の系譜はまさに作者の人生そのものであり、はたまた日本国家のその都度都度の歴史的背景とその時代に生きた人すべての人生そのものとも言い換える事が出来る。Ouverture Historiqueはフランス語であるが、直訳すると歴史的序曲となり、実際にそのような名称で呼ばれることもある。しかしOuverture Historiqueの命名にあたっては、音楽上の序曲という単語だけでなくフランス語の”Ouverture”がもともともつ「切り拓くこと」という意味が意識されている事は昨年のNo.7の委嘱にあたり、作者自身が語った言葉からも明らかである。
 本曲は1970年12月、名古屋大学ギターマンドリンクラブ第13回定期演奏会で作者自身の指揮で初演されたが、1976年に大幅な改作が行われ、更に1978年にも76年版をもとに改作され、最終的にOuverture Historique No.2として決定稿を見る事となった。作者自身が「アマチュア」の作品として大幅な改訂に踏み切った事からもわかる通り、3つの異版が存在しながら、現在この版での演奏は滅多に聴かれる事はない。しかしながら本作がOuverture Historiqueの系譜の原点として多くのファンに愛され続けている事は作者の作品研究に置いても大きな意味を持つ事と言える。
 本曲が生まれた翌年の1971年8月、名古屋に置いて開催された「第7回東海学生マンドリン連盟合同演奏会」は現在に至る日本人作曲家によるマンドリンオリジナル作品を振り返る上で、史上最大のターニングポイントと呼べる演奏会であった。この年初演された作品は、熊谷賢一氏の「群炎T」、川島博氏の「北設楽民謡〜せしょ」。まさにマンドリン合奏の特性を熟知しなかった作者によって、不朽の名作と呼べる作品が全く同時に産み出された事は当時の斯界の人々には大きな驚きであったと同時に、この年代がマンドリン合奏の可能性を「切り拓く」新時代の幕開けだったと呼べるであろう。この年以降、所謂東マン合演は、さながら新曲発表会の様相を呈して行く事となる。これらの行事を勇気を持って押し進めた先達に対し、心からの敬意を評したい。ちなみに1970年は大阪万博、よど号ハイジャック事件、三島由紀夫の割腹自殺、ビートルズの解散、歩行者天国の開始などがあった年で、まさに戦後が少しずつ過去のものとなり昭和が大きく変転していく端緒の年とも言えるかもしれない。
 作品は大きく分けて3つの主題、すなわち激しい変拍子の攻撃的な主題A、優しく慰めに満ちた主題B、独特の不規則なリズムとアクセントを持つ主題Cから構成されており、前半<序奏部-A-B-A>、後半という明快な形式となっている。天地開闢を思わせる序奏、中間部で突如現れる1stマンドリンからコントラバス、マンドローネまで一気に駆け落ちる豪快なスケール、熱狂の坩堝と化して突き進む終結部などそれまでのマンドリン合奏曲では考えられなかった特徴を持っている。
 歸山作品の根底には常に、「現代社会の人間疎外の憂鬱の中で『人間の持つ宿命的な寂しさ』をしっかり見つめ、いかにして人間らしく生きるか」という命題が連綿として流れており、こうした想いが現代社会の様々な軋轢の中に生きる私たちの心を厳しく諭し、あるいは優しく包み込み、見失いがちな本来の人間としてのあり方や、未来を切り拓く姿勢を質すものとなっている。

解説:横澤恒
参考文献:帰山栄治普及振興協会編「帰山栄治作品解説集」
      http://www.bass-world.net/cgi-bin/kaeriyama_works/wiki.cgi
      コンコルディア第22回定期演奏会パンフレット
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望洋の詩

望洋の詩 (2011)
宍戸 秀明 作曲
Hideaki Shishido (1959.Sendai〜)

 作者は1959年仙台市生まれ。現在名取市在住。宮城県内の支援学校教諭。国立特殊教育総合研究所研修講師(平成9年度〜平成23年度)。文部省「病弱教育の手引き−教科指導編−」編集協力委員。宮城県芸術協会会員。宮城教育大学時代はマンドリン部に所属。1999年の日本マンドリン連盟第6回日本マンドリン合奏曲作曲コンクールにおいて、「受容と変容〜病気や障害に悩む人とその家族のために〜」で第3位を受賞している他、秋田のドンパン節をモチーフにした「DON−PAN」、スペイン風の「Duende」、「風にのって」は「葉っぱのフレディー考」というサブタイトルが付き、支援学校の教員である宍戸氏ならではの作品であり、マンドリン合奏のために数々のユニークな作曲を行っている。
 「望洋の詩」には「海に向かう心穏やかに」、という奥付がついているが、これは作曲者曰く、鎮魂を意味するものではなく、海辺の住む仲間たちが震災後にもう一度集まって合奏できる事を願ってのもので、明るく表現して穏やかな海を表現したいとの意向を持っての事である。本作で謡われる海は宮城県の金華山を望む牡鹿半島御番所公園から見渡したコバルトブルーの南三陸の海との事を付記したい。

解説:加藤弘剛、横澤恒
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Focus On/Off

Focus On/Off for String Quartet and Mandolin Orchestra (2014) 委嘱作品初演
小林 由直 作曲
Yoshinao Kobayashi (1961.8.6 Yokkaichi 〜)

 作者は1961年三重県四日市に生まれ、4才よりピアノを習いはじめ、四日市高校在学中より作曲を始め田中照通氏に師事した。山口大学医学部を経て、現在内科医として勤務。医学博士。1985年には、「北の地平線」で日本マンドリン連盟主催の第4回日本マンドリン合奏曲作曲コンクールにおいて第2位を受賞。当クラブでは1992年の「マンドリン協奏曲」、1995年の「音層空間」と二度にわたって作品を委嘱初演している。日本作曲家協議会 (JFC) 会員、JMU会員、日本音楽交流協会 (JAME) 顧問、日本音楽著作権協会 (JASRAC) 信託者。 2013年、神戸国際音楽祭2013 においてワークショップを担当し、「マンドリン音楽の特徴と未来」について講演を行った。
 本作品は当楽団においては19年振りの作者への委嘱となった。近年において作者は室内楽への造形が深く、またマンドリン系では楽器の構造を熟知した緻密な作品を産み出している事から、特に擦弦楽器であるヴァイオリン属と撥弦楽器であるマンドリン属との調和と対比をモチーフにした作品という事でお願いをしたもの。

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「これまで、いくつかの作品において「音の滲み」をマンドリンオーケストラで表現しようと試みてきました。マンドリン系楽器では、たとえ横に流れるフレーズといえども、一つ一つのトレモロの粒が集まって奏される「点描の」音楽です。このトレモロ奏法において、アタックがはっきりしない「焦点をぼかした」音楽は、通常の管弦楽のそれとは大きく異なった音響効果を生み出します。一方、点描であるが故にアタックが一つのタイミングに集中した時は、管弦楽よりもよりシャープな焦点を作ることが出来ます。
この作品では、「点描の」マンドリン系楽器といわば「線描の」ヴァイオリン系楽器との違いを描き分けながら、両者により一つの音楽空間が生まれることを期待して作曲しました。
前半ではトレモロやピッキングによる「点」と弦を奏することによる「線」の違いを際立たせます。中盤では弦楽とギターソロによるやり取りがあり、後半ではギター合奏によるミニマル音楽的な分散和音が流れる中を、マンドリン系楽器により焦点の合わないフレーズが流れて行きます。ここでは、本来アタックが緩やかな弦楽四重奏の方がむしろはっきりとした音像を結びます。そして次第にマンドリン系の焦点が合って来て、シャープな点による激しいリズムになり、そこに四重奏による線の音楽が重なって行きます。
弦楽四重奏をいわば一つの楽器になぞらえた協奏曲の様な感じに捉えていただいてもよし、四重奏による線描の音楽空間とマンドリン系楽器による点描の音楽空間との対比という風に捉えていただいても結構です。この非常に珍しい編成による作品で、何か新しい音世界が生まれれば嬉しいです。」                                                      作曲者記
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 今宵は2008年ウィーン国立歌劇場(ウィーンフィル)の招待オーディションに日本人女性として異例にノミネートされた経歴を持つ中島麻氏を中心として、日本有数の実力者である奏者の皆様をソリストにお迎えし、小林氏のイメージの中にあるフォーカスの音場を再現する事にチャレンジいたします。
解説:横澤恒 
参考文献:Yoshinao Kobayashi’s Music Website
  http://www016.upp.so-net.ne.jp/yoshinao/xiao_lin_you_zhinohomu
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2014年06月11日

2つのエレジー

2つのエレジー
Elegie(1979)
柳田 隆介
( 1952. . sapporo〜 )

「十余日の命を生きて路子が逝ってから二年が過ぎた。生きる事の意味さえ知らなかった彼女に死の静謐が訪れた時、苦しみに耐えるべく握りしめていた保育器の手すりから、その指を一本ずつ離していったという。死ぬまで苦しみしか知らなかった子供の思えば悲しい最後であった。」
 本曲は幼くして先天性心臓疾患で逝去した作曲者の姪、路子との永訣の時を綴った作品であり、それぞれ「その1」、「その2 〜adieu,MichiKo」と題された2つのエレジーからなる。ロンド形式とソナタ形式の2つの楽章からなるという点では作者の前作「マンドリン合奏の為の二章」と類似しているが、本曲においては2つの楽章の関連性や作者の特徴であるロマンティックな転調がより深化し、無二の世界を作り出している。
 その1はイ短調で、大ロンド形式により、むせび泣くような主題とそれに付随した第1エピソード、長調の第2エピソードからなる。第2エピソードはやや明るくニ長調で現れるが、再び悲しみの中に没入してしまう。
 その2はニ短調で、やや動きのある第1主題と穏やかな第2主題(路子のテーマ)からなる。ソナタ形式ではあるが展開部では第1主題と第2主題がはっきりと分かれており、このために2つの主題が交互に繰り返される形式と知覚される。第1主題は激しい運命を表すように頻繁な転調をもつ一方、第2主題は(借用和音は多いものの)調的には安定である。第2主題はハ長調で提示された後、展開部ではト長調で現れ、再現部では同主調のニ長調に達する。曲の最後は変終止で終わる。
 運命に翻弄される路子のテーマがソナタ形式の終着点である同主調に達することは、一つの救いを表している。そこにあるのは安らかな昇天であり、死の静謐である。しかしその2の第2主題は、覆い隠されてはいるものの、その1の第2エピソードと同一のものである。すなわち最終的な到達点であるニ長調は、主題が初めに現れるときには既に運命づけられていたのである。
 これは全ての人間にとって示唆的である。安らぎをもたらす昇天は、あらかじめ決められた死の運命と同一であること。やがて死ぬべき運命を背負ったmortalの、それは悲しい帰結である。
 作者は1952年北海道に生まれ、宮城教育大音楽専攻を卒業。在学中は同大マンドリン部指揮者として活躍した。作曲を福井文彦、佐藤真、ピアノを大泉勉、フルートを小出信也の各氏に師事。1977年には日本マンドリン連盟主催の第2回作曲コンクールにおいて「マンドリン合奏の為の二章」が1、2位なしの第3位に入賞。1979年の第3回作曲コンクールでは本曲が佳作に入っている。 近作には、昨年の第26回宮城教育大学マンドリン部OB演奏会にて発表された「Fantasic Prelude」などがある。


参考文献:
マンドリンオーケストラコンコルディア第24回定期演奏会パンフレット
やなぎだ音楽工房 http://www4.hp-ez.com/hp/ongaku-kobo/

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2014年06月09日

「麗しきイタリア」序曲

「麗しきイタリア」序曲 
LA BELLA ITALIA,Sinfonia
フランチェスコ ジェムメ
Francesco Gemme(生没年不詳)

 作者ジェムメについては残念ながら詳しい経歴は解っておらず、19世紀末にイタリア軍楽隊長を務めていた際に本曲が作曲されソルモーナの長官アントニオ・ドット・デ・ダウリに恭しく献げられている。19世紀末当時のイタリアといえば統一運動によってイタリア王国が成立され、さらなる領土拡大を図る為にエチオピアへと侵攻を進めていた時代である(第一次エチオピア戦争)。本曲は第一次エチオピア戦争がイタリア王国の敗北によって終戦を迎えた1896年に出版されており、戦争に破れはしたがイタリア王国軍が故郷の為に進撃を続ける際の行進曲として作られた意味合いが強いように思われる。
 本曲の原譜は吹奏楽編成によって作曲されており、中野二郎氏によってマンドリンオーケストラへと編曲された。楽曲構成は大まかに急-緩-急によって形成され明朗快活なイタリア風序曲として作曲されており、緩部分のLarghetto Sostenutoで奏でられる情緒溢れる旋律はイタリアの美しい風景を思い浮かべる事が出来る。
 本曲を通じて作曲された当時の時代背景や、現代も中世以降の歴史的建造物が残るイタリアの美しさを少しでも感じていただければ幸いである。

中野二郎著「いる・ぷれっとろ」http://homepage1.nifty.com/yasu-ishida/ILPlettro/ILP-Framemain.htm
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2014年06月07日

宗教的旋律「幻影」

宗教的旋律「幻影」
VISION, Melodie Religieuse
エドアルド メッツァカーポ
Edouardo Mezzacapo (1890s - 1942)

 作者はイタリア出身のマンドリニストで19世紀の末にフランスのパリに出てマンドリンの教授と作曲で活躍した。一時期はイギリスのロンドンに渡ったが、1912年にはパリに戻り、音楽学校の教授やマンドリン合奏の指揮を行ったという。マンドリンのために多数の作曲があり、本邦でも「アンダンテとポロネーズ」や「マンドリニストの行進曲」などが親しまれている。
 本作の楽譜には”Hommage a Madame la Princesse A. de BROGLIE”と書かれており、はアルベール・ド・ブロイ公爵(ド・ブロイ波で著名なルイ・ド・ブロイの祖父にあたる)の夫人(1825-1860)への敬意をこめて作曲されたと推察される。楽譜はフランスのJ. Rowiesから出版されており、カタログには作者のマンドリン曲が数十曲にわたって掲載されている。いずれもマンドリンとピアノ(またはハープ)、またはマンドリンとマンドラとギターという編成あるいはそのサブセットで演奏できるように構成されていたようである。本日の演奏では、四部合奏版を元に松本譲氏が低音部の補筆を行った版で演奏する。
 本曲はロ短調の緩やかな主題とやや前進感のあるト長調の中間部からなる三部形式による。曲の最後では主題は長調に転じて、宗教的な救済を受けて曲が閉じられる。小品ではあるが、丁寧に構成された佳曲である。

中野二郎著「いる・ぷれっとろ」http://homepage1.nifty.com/yasu-ishida/ILPlettro/ILP-Framemain.htm
IMSLP, Petrucci Music Library 内のMezzacapoの項目http://imslp.org/wiki/Category:Mezzacapo,_Edouardo
※Wikipedia 英語版 http://en.wikipedia.org/wiki/Eduardo_Mezzacapo では、生没年が1832-1898とされている。

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田園組曲

田園組曲
Suite Campestre (1910)
サルヴァトーレ ファルボ ジャングレコ
Salvatore Falbo Giangreco (1872. 5. 28 Avola ~ 1927. 4. 8 Avola)

「我々は、我々の楽器のための真のレパートリーを持たなくてはならない。」
 イタリアマンドリン音楽界の最大の功労者、アレッサンドロヴィッツァーリのこの言葉に最も賛同し、共感を持った作曲家はおそらくサルヴァトーレファルボジャングレコその人であろう。ファルボはプレクトラムオーケストラのための重要な作品を残すのみならず、その著書である複数の論文の中でマンドリンのためのオリジナル作品の重要性について述べている。
 本曲の書かれた1910年は、イタリアマンドリン音楽における大きな過渡期であったと言える。前記ヴィッツァーリによって1906年に創刊されたIl Plettroはすでに1906年と1908年にそれぞれ作曲コンコルソを主催し、マンドリン音楽のための新たなレパートリーを提供していた。これより前のマンドリンのための作品は、単純な構成と楽想をもつ標題音楽の小品が多くを占めており、深い音楽性をもつものは非常に少なかった。この傾向は1906年の第1回作曲コンコルソにおいても同様であり、募集部門は小品向けのものであり、受賞曲も大半は小品であった。1908年の第2回作曲コンコルソでは現在なお良く知られたアマデイの「海の組曲」やマネンテの「メリアの平原にて」などの大曲が受賞曲に並ぶようになる。
 このような変遷はマンドリンがそれまでの局所的な民族音楽の領域から、普遍的な音楽性を獲得するにいたる過程であったと言える。特にこの第2回作曲コンコルソの受賞曲は示唆的である。第1位を受賞した海の組曲のような、舞曲調の標題を有する小品を組み合わせることによってひとつの大作を作り出すという発想は従来の小品中心の作風からの自然な延長であると言えるであろう。このような手法を用いれば従来の作品に慣れ親しんだ人々にほとんど違和感なく大作を受け入れさせることが可能であったに違いない。一方で意欲的である単一楽章のメリアの平原にては2位ですらない上位佳作に終わっており、この差はそのまま当時の音楽の受け入れられやすさを反映していると考えられる。
 それでは古典音楽の延長にある曲はマンドリン音楽としては受け入れられないのか? それに対して独自の解答を出したのが、ファルボの作による本曲「田園組曲」である。田園組曲は一瞥してわかるように舞曲調の作品を集めた標題音楽による組曲であり、その意味では従来のマンドリン作品の延長線上に位置すると言える。しかしファルボはこの曲を作曲するに当たって楽式としてのソナタを採用した。プレクトラムオーケストラのためにソナタを書くという概念は当時すでにあり、良く知られたマネンテの「マンドリン芸術」やボッタキアリの交響曲「ジェノヴァ市へ捧ぐ」などが存在していた。これらの音楽はたしかに古典の延長線上にあって一流の音楽性を備えているが、その一方で従来のマンドリン曲とはかけ離れていた。田園組曲はこのようにともすれば乖離しつつあった「古典の延長の音楽」と「民族音楽の延長の音楽」という2つの要素をひとつに纏め上げた点が歴史上特筆に価する。これは当時すでに先人が築きつつあったマンドリン音楽へのエネルギーをそのまま深い音楽性をもったレパートリーへと向けさせるために非常に重要な役割を果たしたと言える。このような曲はマンドリン音楽を真摯に考えていたファルボでなければ書けなかったであろう。本曲の登場以降、プレクトラムオーケストラのための深い音楽性をもった曲が次々と登場し受け入れられていったが、その土壌を作るために本曲が果たした役割は非常に大きいと考えられる。

 作者はシチリア島のアヴォラに生まれ、同地に没したイタリアの作曲家。Falboが姓であり、Giangrecoは母方の姓を名乗ったものである。パレルモのコンセルヴァトーリオにおいてCasi とStronconeにピアノを、Favaraに対位法とフーガを、Zuelliに作曲法を学んだ。1896年にピアノと作曲法のディプロマを得て、シチリア島のニコーズィアの吹奏楽団の指揮者となり、その後アヴォラの吹奏楽団に指揮者として迎えられた。マンドリン合奏のためには本曲の他、1911年のIl Plettroの第4回コンコルソで第1位を受賞したOuverture in Re minore(序曲ニ短調)、1921年の第5回コンコルソで第1位を受賞したSpagna “Suite”(「組曲」スペイン)、同じく第1位を受賞したQuartetto a Plettro(プレクトラム四重奏曲)などがある。作品数は多くないが、いずれもマンドリンのための重要なレパートリーとして受け入れられている。
 本曲は作者のOrchestra a Plettroのための作品としては最初のもの(マンドリンのための小編成の作品はこれ以前にあった)で、1910年のIl Plettroの第3回のコンコルソに応募された。このとき、規定の第1位に相当する作品は無いとされたが、本曲およびU. BottacchiariのIl Voto(誓い)、L.M-VogtのOmaggio al Passato(過去への尊敬)の3曲が特別推選作品として金牌を受賞した。本曲ははじめ手写譜にて頒布されたが、改訂を経て1925年に改めて浄書譜として出版されている。本曲には”Suite Campestre”(田園組曲)の他に”Scene Campestri, Suite”(組曲 田園写景)という題名も知られている。楽譜には手写譜版も浄書版も”Suite Campestre”と記載されているが、”Scene Campestri”と記載されている表紙が存在するとのことである。
 浄書版における改訂の多くは、オーケストレーションに関するものである。浄書版ではマンドラやギターに "in sostituzione del Mandoloncello" (マンドロンチェロの代用)という記述が多く見られるとともに、マンドローネにしか割り当てられていない音が無くなっている(結果として、ギターが最低弦D調弦になっている)。これは出版当時の実用的な合奏編成に合わせたものであると考えられる。当時のマンドリン合奏曲は大部分がマンドリン2部、マンドラテノール、ギターの4部合奏に書かれており、低音部が充実した合奏団は多くなかったことが推察される。マンドロンチェロやマンドローネといった低音楽器が使用できない合奏団でも一応の演奏が可能なようにするという要求が浄書版の出版にあたって存在したのかもしれない。ただし、オーケストレーションの変更は低音部だけではなく、マンドリンの扱いも含めて変えられており、強奏部でのパートの追加やサウンドを華やかにするオクターブの追加が見られる。また、オーケストレーションに関しない改訂として、一部の旋律線の変更やリハーモナイズ、第2楽章の最終小節の削除などがある。このように浄書版における改訂箇所には、当時の合奏編成に合わせたと推察される変更とそれ以外の変更の両方が含まれている。本日は、低音部が充実した現代の編成でよりファルボらしさを感じられる楽譜として改訂前の手写譜版の楽譜を用いて演奏する。素朴ではあるが瑞々しさを感じされるサウンドは、聴覚上でも新鮮な感覚を与えてくれると期待している。

 本曲はI. Danza a Vespro (夕べの踊り) 、II. Serenatella (小セレナータ)、III. Alba di Festa (祭りの朝)の3楽章からなる。
 第1楽章の標題にあるVesproは時刻としての夕べだけでなく、宗教的な「夕べの祈り」と結びついた単語である。浄書版の出版譜では”DANZE A VESPRO”と踊りを意味するDanzaが複数形で書かれており、曲自体が舞曲であるというよりは踊りの風景を描写した音楽であるということが示唆されている。第2楽章のserenatellaは夜に窓辺で演奏する音楽であるserenata(セレナーデのイタリア語)に縮小辞の-ellaがついたもの。第3楽章のalba di festaは祭りの夜明けの意味である。すなわち、本曲は祭日の前日の夕べから夜、夜明けまでの一連の風景を描いたものであり、3楽章の構成に時間の流れが意識されている。
 3つの楽章はそれぞれソナタ形式、三部形式、ロンド形式からなり、古典のソナタを意識した楽式を取っているが、いずれも急速な楽章であることは特徴的である。
I. Danza a Vespro, Allegro con brio 3/4, ト長調, ソナタ形式
 第1主題は2小節からなる単一の動機をもとに作られている。ト長調に開始し、主題の確保もなされるが内部の転調は現れるごとに変化する。平行和声進行が特徴的な経過句を経て、第2主題がハ長調-ホ長調で提示される。展開部の前半では第1主題のリズム上に第2主題が奏され、後半は第1主題の展開を中心に空虚5度の野趣に満ちた楽想を取る。再現部では、第1主題が属音保続音を伴った主調で再現される。第2主題は提示部における経過句の平行和声に乗せる形でハ長調-ト長調で再現される。
II. Serenatella, Allegro 3/4, ハ長調, 三部形式
 繰り返しのある三部形式による。リート形式による中間楽章であるが、テンポは快速である。中間部におけるファルマータや楽章最後の終結部など、外形的に改訂前後の違いが最も大きい楽章。なお、手写譜版では繰り返しは省略してもよいと記述があるが、本日は省略せずに演奏する。
III. Alba di Festa, Vivace 4/4, ト長調-ハ長調, ロンド形式
 小ロンド形式による。ロンドの主題はそれ自体がト長調からハ長調の流れを有しており、これは本曲全体の調の流れと同一である(曲内部で属調-主調の流れを持たせて曲の開始と終結の調を異なるものとする構成はファルボがよく用いた手法である)。コラールのような第1エピソード、マンドリンソロが特徴的な第2エピソードと主題の小展開部を織り交ぜて、最後はハ長調で曲を閉じる。

参考文献:
同志社大学マンドリンクラブ第132回定期演奏会パンフレット付録資料「アレッサンドロ・ヴィッツアーリとイル・プレットロ誌の作曲コンクールについて」
岡村光玉氏によるサルヴァトーレ ファルボとマンドリン音楽(中原誠 発行) http://www.ne.jp/asahi/mandolin/falbo/

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2013年06月23日

Ouverture Historique No. 7

Ouverture Historique No. 7 (2013)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。 1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在十数曲を数えている。
 本曲「Ouverture Historique No. 7」はマンドリンオーケストラコンコルディアより作曲を委嘱し、本日が初演となる。Ouverture Historiqueのシリーズは本曲を含めて7曲を数え、三楽章シリーズとともに作者のライフワークと言える。シリーズ最初のOuverture Historiqueは1970年に作曲され、2度の改作を経て1978年にOuverture Historique No. 2となる。その後1980年にNo. 3、1982年にNo. 4、1990年にNo. 5、2001年にNo. 6が作曲されている。原曲の改作であるNo. 2と「反核、日本の音楽家たち」発足を記念して臨時に挿入されたNo. 4を除けば、おおむね10年ごとに作曲が行われており、その時代ごとの世相と作者の音楽観が反映された曲になっている。Ouverture Historiqueはフランス語であるが、直訳すると歴史的序曲となり、実際にそのような名称で呼ばれることもある。しかしOuverture Historiqueの命名にあたっては、音楽上の序曲という単語だけでなくフランス語の”Ouverture”がもともともつ「切り拓くこと」という意味が意識されている。すなわちこのシリーズは常に歴史を振り返るだけではなく未来へ進む視点をもって描かれてきた。
 本曲は、先だって作曲されたギター合奏曲「五つの情景」といくつかの動機を共有している。「五つの情景」は2012年に作者のギター合奏曲を継続的に委嘱、演奏している愛知大学ギターアンサンブル部の第50回定期演奏会を記念して作曲されており、50年を表す5つの楽章にそれぞれクラブの10年ごとを表した曲である。標題性が高い「五つの情景」の作曲に当たっては先の大震災のイメージが重ねられたという。
 本曲は作者の従来の作品と異なり、調性がはっきりしているとともに変拍子や意図的にわかりにくくするような表現が避けられ、素直に楽想が表現されている。曲は緩-急-緩-急-緩-急-緩の7つの部分からなる。梵鐘の音を模した響きから始まるAndante lentoの序奏の後、Allegro moderatoでト短調の第1の主題が提示され、続くModerato – Andanteでは間奏の後、第2の主題が下属調のハ短調で提示される。その次のAllegro moderatoは展開部であり、2つの主題が展開される。その後、慈しみを込めたようなAndanteのエピソードを挟んで、再びAllegroそしてPiù mossoとさらに主題が展開され、最後に充実した響きによるPlus lentoのコーダで曲が閉じられる。
 最初に提示される第1の主題は非常に前進感があり、まっすぐに未来を志向するものである。しかしながら、転調を経て高らかに歌われたこの主題は突如として断絶される。未来への扉は閉ざされてしまったのだ。引き続く第2の主題では、何か一つのことに固執するように一つの主題が短い周期で何度も繰り返される。この部分の構成についてはOuverture Historique No. 2の中間部との類似性を作者が認めている。しかしNo. 2において中間部の主題はその前に苦しみの上で到達した、言わば「切り拓いた結果として得た現在」であったが、ここではそうではない。それはむしろ安寧な過去への回想であり、そこへ安住しようとすることは現実からの逃避となってしまう。曲は拘泥から抜け出すように次の展開部へ進むが、この部分の前半は第2の主題のために割り振られており、第2の主題は展開の後に感動的に主調であるト短調に到達する。第2主題の主調への到達は、ソナタ形式に見られるように2つのテーゼの合一を示唆する。つまり、過去のものであったはずの第2の主題は、ここでは未来へと向かう力の原動力となっている。そこにあるのは、我々は過去を切り捨てなくても未来へと進むことができるという暖かさである。
 本曲にどのような歴史を重ねるかはこの音楽に触れる全ての人にとって全くの自由である。しかし今ふたたびの激動の世界にあって、本曲が未来へ進む人の力になることを願ってやまない。Ouverture Historiqueは今作においても歴史を切り拓く者のための音楽である。


参考文献:帰山栄治普及振興協会編「帰山栄治作品解説集」
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2013年06月22日

マンドリンオーケストラの為のボカリーズIV「風の歌」

マンドリンオーケストラの為のボカリーズIV「風の歌」(1975)
熊谷 賢一
Kenichi Kumagai(1934.2.16 Yokohama〜)

 作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。作品においては、ロシア民謡などを手本にわかりやすく芸術性の高い音楽が企図されている。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。
 マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズI〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、氏の作品を初演するなど縁の深いプロムジカマンドリンアンサンブル(広島)の創立者であった高島信人氏の働きかけや斯界からの熱心な要望もあり、現在では作者との適切な手続きを踏まえて演奏が可能となっている。
 作者のマンドリン合奏曲は、作曲時期によって大きく2つにわけることができる。前期の作品は三部形式などの比較的シンプルな楽式に斬新な音響が表現された器楽的な楽曲である。一方、後期の作品は自作品の合唱曲からの編曲が多く行われ、それを接続曲風につなげた歌謡的な曲として構成されている部分が多い。いずれにおいても音楽性の根幹をなすのは旋律のもつ豊かなうたごころであり、それを多彩なオーケストレーションで彩りながら歌い上げるという点では作風の一貫性が感じられる。
 1975年に発表された本曲は、前期と後期のいずれにも属さずちょうどそれらの分水嶺に位置する作品である。多くの楽想をつなぎ合わせた構成によるが、その楽想は器楽的なものが多い。また最も歌謡性が現れた主題も、それが何度もオーケストレーションとハーモニーを変えながら繰り返される展開はむしろ最初期の群炎Iなどに見られる手法に近い。本曲は前期と後期の作風の変化の間に一瞬だけ存在した絶妙のバランスの上になりたっており、そこには作者のマンドリン合奏曲の魅力の全ての要素を見ることができる。
 また、本曲には標題音楽としての大きい魅力も感じられる。本曲は器楽による歌詞の無い歌(ヴォカリーズ)であると同時に器楽による音楽劇(ミュージカル)であり、楽想が移り変わる構成の中にストーリー性を強く感じさせる。近年のマンドリン曲には「風」を標題とする作品も多いが、それらより以前に書かれた本曲にどのような色の「風」が見られるかお楽しみいただきたい。


参考文献:音楽家人名事典 新訂第3版 (日外アソシエーツ, 2001)、マンドリンオーケストラコンコルディア第32回定期演奏会パンフレット、邦人作曲家・マンドリンオーケストラ作品リスト
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2013年06月21日

シンフォニエッタニ短調

シンフォニエッタニ短調
Sinfonietta in re minore, in un tempo
ウンベルト ゼッピ
Umberto Zeppi (1890.11.9 Como ~ 1978.6.24 Albese)

 作者はイタリアの作曲家・ヴァイオリニストである。マンドリン音楽の作曲者として著名なA. Cappellettiに学び、CappellettiやU. Bottacchiariが指揮を執ったマンドリン合奏団Floraで両者の跡を継いで指揮者になった。作品には歌劇、カンタータ、管弦楽曲などがあり、マンドリン音楽にも複数の作品を残している。
 本曲は始めに単楽章のシンフォニエッタとして管弦楽のために作曲され、後に作曲者自身によってマンドリン合奏のために編曲されたものである(管弦楽版は後に緩徐楽章、メヌエット、フィナーレの3つの楽章が追加され、全4楽章の作品となっている)。1952年にFloraの設立60周年を記念して開催された合奏コンクールでは課題曲に選ばれている。
 曲はロマン派の自由なソナタ形式による。器楽的な楽想と和声進行中心に構成された経過句はややもすると理屈っぽさを感じさせるが、和声の広がりを感じさせる重ね方とロマン派らしいめまぐるしい進行は本曲の魅力である。
 緩徐な序奏に始まった音楽は、テンポを速めて第1主題に入る。主調のニ短調で提示される第1主題は器楽的なパッセージの旋律を有して前進感を感じさせる。一方雄大な第2主題は平行調であるヘ長調で提示される。展開部は第1主題を中心に展開が行われ、最後にはイ音による属音保続部を有している。属音保続部により導かれた再現部では同主調で第2主題が再現される。一旦序奏の楽想が挟まれ、主調にて第1主題が再現される。さらにオーケストレーションを変えて第1主題が歌われた後、再度序奏の楽想を挟んでコーダにて曲が閉じられる。
 再現部において第2主題が先に再現されるソナタ形式という観点で、本曲の楽式はブゥダーシキンの「ロシア序曲」と共通している。しかし本曲では各主題の調設定がかなり古典的に設定されており、ソナタ形式が本来もつ性質がよりはっきりと維持されている。再現部において第2主題が主調に達することによる一体感はソナタ形式の醍醐味であるが、第2主題が先に再現されることによってそれがより強調されているのは本作品におけるひとつの工夫の成果であろう。

参考文献:Album Philodolino 2 (石村隆行編集、1991)
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カルソ風夜曲

カルソ風夜曲(1935)
Notturno Carsico
エマニュエーレ・マンデルリ/松本譲編曲
Emanuele Mandelli(1891.8.27 Morengo(Bergamo)〜1970)

 作者はイタリア北部、ロンバルディア州のベルガモの小都市モレンゴに生まれた、管弦楽作曲家にして指揮者。ミラノの音学院に学び、1920年には再びエミリア・ロマーナ州パルマの音楽学校を卒業した。長くベルガモのドニゼッティ音楽院で教鞭を取り、同地では聖マリア・マジョーレ教会の楽長も務めた。作品については多くは知られているわけでは無いが、劇場作品、管弦楽、ピアノ曲、合唱曲などを残した。管弦楽作品には交響的エピローグ「ミラ・ディ・コドラ」「聖書組曲や組曲「聖フランチェスコの花」がありピアノ作品や合唱曲も多く残されている。斯界へのオリジナル作品には、1931年『Il Plettro』誌に掲載された名作「楽興の時」が本邦でも広く知られている。
 本作品は1935年イタリアのカリッシ社より出版された管弦楽曲である。同年には前述の交響的エピローグ「ミラ・ディ・コドラ」も出版されており、旺盛な創作意欲を伺わせると同時に、同作に通ずる原初的な暗鬱感に満ちたものとなっている。題名にある「カルソ」とはスロベニア西南部からイタリア北東部トリエステにかけての台地を指す地域名称で、同地域に多く見られる石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形からカルスト地形の語源になっているものである。位置的にはイタリア半島のつけね、ブーツの膝の裏にあたる辺りの地域である。
 冒頭から瞑想的なギターとマンドラの旋律が不安気な和声の中に浮き沈みするが、調性的な安定を得ることが出来ずに、古代と現代の狭間の空間をたゆとうように揺らぎと混沌の中に薄明の光を見る。やがて夜明けと共に、深い鐘の音が響き、すべての旋律は夢の中の出来事であったように消えていく。マンデルリの作品にしばしば見られる、歌い過ぎず、濃密になり過ぎず、紙一重のところで陳腐なロマン派小品に陥らない作風が本作にも伺え、作者の精神性の高さを示していると思われる。

参考文献:コンコルディア第23回、第27回定期演奏会曲目解説、Wikipedia、松本譲氏から譲渡された資料
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ロシア序曲

ロシア序曲
РУССКАЯ УВЕРТЮРА (1945)
ニコライ パヴロヴィッチ ブゥダーシキン 作曲 歸山 榮治 編曲
Николай Павлович Будашкин (Nikolay Pavlovich Budashkin) / Rid. Eiji Kaeriyama
(1910.8.6 Любаховке ~ 1988.1.31 Москве)

 作者は現在のカルーガ州にあるLyubahovkeの村に生まれモスクワで死去したロシアの作曲家。幼少期によりアマチュアのブラスバンドおよびロシア民族楽器オーケストラに親しみ、1929年にモスクワ州立の音楽学校に入学、1937年には作曲課を修了した。1945年から1951年までバラライカ奏者であるOsipovの名を冠する国立民族楽器オーケストラの指導助手を務め、そのオーケストラのために多くの作品を作曲した。1965年からはモスクワ州立芸術文化大学にて教鞭を取った。ロシア幻想曲、ドゥムカ、ロシア狂詩曲などの作品により、2度のスターリン賞を受賞。民族楽器のための音楽の他、映画音楽などに作品を残している。
 ロシアの民族楽器オーケストラはバラライカやドムラなどの撥弦楽器を中心に構成され、トレモロを比較的多く使用する表現方法など、そのサウンドはマンドリン合奏と通じるものがある。マンドリン音楽の発展のためには「大衆性」を有するレパートリーの充実が必要と考えた編曲者の歸山氏は、親しみやすい音楽としてこれらロシア民族楽器オーケストラのレパートリーに着目しその作品をマンドリン合奏に編曲する活動を行った。編曲活動を始めた後に歸山氏はモスクワへ渡航し、病床にあったブダーシキンを訪問した。既に本人との意思疎通は難しかったが、夫人にマンドリン合奏へ編曲した演奏の録音を披露したという。歸山氏によるロシア序曲の編曲には複数の版が存在するが、本日は後年再編曲されたクラリネットや打楽器を含む版を使用する。
 本曲は作者がOsipov記念国立民族楽器オーケストラに関わり始めた1945年ごろの作品であり、民族楽器オーケストラのために精力的に作品を発表する先駆けに位置する作品と考えられる。序曲という形式の中で軽妙さと憂愁の間を揺れ動くロシア音楽らしさが率直に表現されている。
 曲は再現部において第2主題が先に再現される、ロマン派のソナタ形式による。短い序奏の後、ヘ長調の第1主題が提示される。三拍子のこの主題はシンコペーションのリズムが特徴的で、途中に短調への転調を含みつつも軽快で明るい楽想をもっている。それに続く第2主題は拍子も二拍子に変え、嬰ヘ短調で憂いを含んで歌われる。この主題は楽節の中間に第1主題と共通の動機を有しており、2つの主題は完全に独立なものではない。再び主調で第1主題が奏された後には、主題の展開要素が少ない中間部が置かれている。再現においては第2主題が先に再現されるが、この再現は同主調ではなく平行調であるニ短調で行われ、それに先立つ属音保続部もニ短調への属音であるイ音にて行われる。一方第1主題は再現において同主調であるヘ短調に移調され、最後は物悲しく曲が終わる。2つの主題の調性対立とその変容というソナタ形式の楽式観を中心としつつも、再現においてはどちらかの調への集約ではなく互いに近づきあうという点に独自の美意識が見て取れる。

参考文献:Материал из Википедии − свободной энциклопедии(ウィキペディア ロシア語版) http://ru.wikipedia.org/wiki/Будашкин,_Николай_Павлович
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