2017年06月06日

序曲「神の御心のままに」

序曲「神の御心のままに」
L’uomo ordisce, la fortuna tesse, Sinfonia, op. 31 (1875)
ジョヴァンニ ボルツォーニ 作曲 石村隆行 編曲
Giovanni Bolzoni (1841.5.15 Parma 〜1919.2.21 Turin) / Rid. Takayuki Ishimura 

 作曲者はイタリアの指揮者、教師、作曲家。パルマの音楽学校にてG. del Mainoにヴァイオリンを、Griffiniに声楽を、G. Rossiに作曲を学んだ。1859年に卒業した後は各地の劇場指揮者、音楽学校の校長などを歴任した。トリノの音楽高等学校では校長および作曲科の教授を務め、器楽科の設置などを行って厳格なオペラ重視の伝統の見直しを行った。作曲家としては数曲のオペラも残しているものの、主要作品は室内楽曲と管弦楽曲であり、オペラ優勢の時代にあって一線を画している。特性的な小品や叙事的な序曲などを好んで作曲し、本日演奏する「神の御心のままに」を含む5つの序曲や弦楽四重奏のためのromanza senza paroleなどが代表作である。
 本曲は京都在住のマンドリニスト・音楽研究家の石村隆行氏による編曲である。主宰・指揮者を務めるESTUDIANTINA PHILODOLINO di KYOTOおよび技術顧問を務める同志社大学マンドリンクラブなどでイタリアロマン派の音楽を中心とした作品を多数編曲して発表しており、その中には本曲の他にもボルツォーニの作品が複数含まれる。
 序曲「神の御心のままに」は5つの序曲の中でも前作となる序曲「サウル王の悲劇」(op.30、1874年作曲)とは作品番号が連続しており、いずれもボルツォーニがF. Morlacchi劇場の指揮者をしていたころに作曲したと考えられる。原曲は吹奏楽に書かれており、1875年にリヴォルノで行われた作曲コンクールで第1位を受賞している。題にある「L’uomo ordisce, la fortuna tesse」とはイタリア語のことわざで、直訳すると「人が縦糸を織り、運命が横糸を織る」となる。布は縦糸の向きに従って織られていくが、形をなすためには横糸が必要なことから、人が目的を達成するためには運命の助けが必要となるということを表している。New Groveの作品リストでは本作は単にSinfonia op.31と挙げられており、この言葉は表題というよりはモットーとしての意味合いが強いかもしれない(明確に叙事的な標題音楽として作曲された「サウル」とは扱いが異なると考えられる)。
 曲はソナタ形式に依り、序奏(主題の一つのように重要に扱われている)、第1主題、第2主題を有する。序奏と第1主題はニ短調で提示され、一方コラールのような開始を持つ第2主題はハ長調で提示される。展開部では主題はあまり形を変えずに現れるが、第1主題が主調を保つのに対して、第2主題はロ長調に移調される。序奏の動機による展開の後、序奏はト短調で再現される。属音保続の後で第1主題がニ短調で、第2主題がニ長調で再現され、最後は序奏の動機を用いたニ長調のコーダで曲が閉じられる。
 本曲は明快なソナタ形式に則っており、同様に2つの主題を有してもソナタ形式とはかけ離れた前作「サウル」とは大きく楽式を異にしている。「サウル」においては主人公であるサウル王は神の加護を失い悲惨な最期を迎える。このため、曲の中心的な主題も確固たる形態を保たずに変化を続ける造りになっており、ソナタ形式の第1主題とはなりえないものであった。一方で本曲の第1主題はソナタ形式の主要主題として明確な形をとっている(展開部の中でも、核となる部分は原型を保って主調で現れる)。これは、「縦糸」となる、人の信念を貫く生き方を示したものと言える。「横糸」となる第2主題はこれもソナタ形式の副主題として、様々な調で(色彩を変えて)現れて、最後には同主調となって第1主題と融和する。つまり、運命は人と対立するのではなくその生き方を助けるものとして描かれている。
 作品番号が連続したこの2つの序曲の対照的な造りからは、作者が本曲に込めた思いを読み取ることができる。本曲にあるのは、まっすぐな人の生きざまを肯定するあたたかさである。「サウル」のような救いようの無い作品を書いてしまったがゆえに、より人間の存在を肯定する作品を書くべきと考えたのかもしれない。単に「神の御心のままに」という言葉を目にしたとき、すぐに想起されるのは「サウル」で描かれたような、神の意志に沿わなければ悲惨な結末を迎えるという世界であろう。しかし本作はそうではない。人が信念をもってまっすぐに生きることこそが天命に沿うものであり、運命はそのような人生の一部となって一つの布を織りなす。

参考文献:The New Grove Dictionary of Music and Musicians, Second Edition, (Grove, 2001)
posted by コンコルディア at 19:59| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゆらぎの彼方

ゆらぎの彼方 (1996)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。
その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、 現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。 作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。
本作品は名古屋大学ギターマンドリンクラブの委嘱で作曲されている。本作の基となっているのは1987年『帰山栄治作曲の世界』その1、DANCER 野々村明子とともに、で初演された舞踏音楽「生きる」…冬と春のあいだ…の序奏部である。「生きる」は序奏と二部構成からなり70分に及ぶ大作であり、名古屋市芸術選奨奨励賞、芸術選奨文部大臣新人賞、世界バレエ・モダンダンスコンクール特別賞など数々の賞を受賞した現代舞踊家野々村明子との競演で生まれたシンセサイザー作品の意欲作で、ある種の瞑想的な響きに支配された居場所の定まらない音楽が流転を繰り返しながら無限の彼方に収斂していく様が聴いて取れるが、後年のOuverture Historique6や7の世界を先取りした作品としても、もっと聴かれるべき作品と言えないだろうか。
帰山氏に、「ゆらぎの彼方」について伺ったところ、次のようなお話を聞くことが出来た。氏は2016年の闘病に際して「日本一カッコ悪い男が恋をした」というタイトルの自伝風の小節を起案した。これは高校1年生の時に始まった、主人公まもる君の「恋」の変遷、遍歴を、高校生活、大学生活に渡って、記録と記憶を頼りに「まとめて」みようという試みであったが、退院後、1988年時点で「永遠の創造」という過去の著述の第一稿を認めている原稿を発見し、両者のアイデアをまとめていく中で上記「生きる」を聞き直したところ、著述の内容そのものがまさに音として綴られている事に気づいたとの事で、全てはここから始まるお話との事。著者名を河上信二として完成された本著作は当面の間非公開との事だそうで、上記のようなサイドストーリーからしても氏がこの曲の内面的な部分を言葉にされる事はこれからもないと考えられる。ちなみに氏によれば「生きる」の世界は「哀しさ、寂しさ(淋しさ)、苦しさ、辛さに満ちた音の世界」だそうである。
ゆらぎとは、ある量の空間的または時間的な平均値からの変動を指す言葉であるが、まさに冬と春の間にある空間的、時間的、物理的、感情的な行き来を幽玄な響きで表した音楽と言えるかもしれない。そしてそうした変動の向こう側にあるものが「哀しさ、寂しさ(淋しさ)、苦しさ、辛さに満ちた音の世界」として表現されているのではないだろうか。


参考資料:帰山栄治作品解説集(http://www.bass-world.net/kaeriyama_works/wiki.cgi?page=FrontPage)
帰山栄治 <「永遠の創造」著作について…>

posted by コンコルディア at 19:58| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇的序曲

劇的序曲〜アレッサンドロ・ヴィッツァーリによる手写譜初期稿
Ouverture Dracmatique (1911)
アルリーゴ・カッペルレッティ
Arrigo Capelletti (1877.11.16 Como〜1946.10.16 Como)

作者はイタリアのコモに生まれ、同地に逝いた斯界の至宝的作曲家の一人。同地の音学院でポッツォーロ教授よりピアノ、オルガン、対位法といった基礎を学び、ボローニャのフィラルモニカではピアノと作曲法、吹奏楽を、ミラノのヴェルディ音楽院ではオルガン、合唱といった課程で次々とディプロマを獲得した。経歴からも推測できるように多様なジャンルに作品があるが、特にオルガン作品を得意とし、コモのフェデーレ教会のオルガニストにもなり、各地のオルガン曲コンクールでも度々入賞したという。また宗教音楽のジャンルにも優れた作品を残しており、殊に対位法を駆使したその作曲技法には自信を持っていたと思われる。また、生地コモの山々をこよなく愛し、かなり距離のあるミラノのスカラ座まで歩いて通ったという。斯界では同地の伝統あるマンドリン合奏団である”Circolo Mandolinistico Flora”(現“Orchestra Plettro Flora”)の指揮者として活躍し、U.ボッタキアリも同団のタクトをとった事から親交が厚かったという。(この伝統ある合奏団はそののち、かのU.ゼッピに引き継がれ繁栄した)
本曲は1911年のIl Plettro誌主催の第4回作曲コンコルソでS.ファルボの『序曲ニ短調』に並んで、第1位に入賞した作品。本邦では1928年に早くも同志社大学が取り上げている。
本作品に多くの版の総譜が存在している事はよく知られている事であるが、ここでひとまずその整理をつけておこう。いくつかの版で注目されるのは主に、第二主題の省略と、Piu mosso ancoraに至る経過句の増減という曲の構成上の違いと、第二主題におけるアウフタクトのアクセント処理と装飾音符の扱い、同一旋律におけるレガートとテヌートという二層表現など演奏する上での適切な表現上の違いがあると考えられる。これら版による違いは当団清田氏の下記ブログで詳細に解説されているので興味のある方は参照されたい。
現在確認されている本作品の総譜は5種類で以下の通り。
A)Alessandro Vizzariによる手写譜@ 中野譜庫所蔵番号MC7-10
唯一、作品のモットーと思われる「情熱の翼に乗って(sur les ailes du desir)」が冒頭に記載された最初期の版と思われるうちのひとつ。曲頭と曲尾にホルンが奏されるが特に曲尾のPiu mosso ancora においては5小節目から冒頭主題をカノン風に演奏する事もあり、異色な響きが味わえる。第2主題の省略はなく、ancoraに向けた経過句は4小節。来月アンサンブル・ビアンカ・フィオーリで演奏される。
B)Alessandro Vizzariによる手写譜A 中野譜庫所蔵番号MC7-7A
こちらも最初期の版と考えられるうちのひとつ。Mandolaパートに8va表現が見られる。中野譜庫には途中ページまでしか所蔵されていなかったが、昨年同志社大学マンドリンクラブで全ページの存在が確認された。第2主題の省略はなく、ancoraに向けた経過部は4小節。第2主題再現部終盤のmolto ritenuto in 2という記載がこの版にだけ無い。本日演奏するのはこちらの版で、この版を明記しての演奏はおそらく過去にないと思われる。また明らかな記譜上の誤りについては訂正をして演奏する。。
C)Alessandro Vizzariによる手写譜B 中野譜庫所蔵番号MC7-7@
出版に至る途中で改訂されたと思われる版だが、数カ所前後の版とは異なるフレーズの変更が見て取れる。第2主題の省略はなく、ancoraに向けた経過部は4小節。コンコルディア第24回では当時MC7-7Aの途中までしか存在しなかったページとこちらを組み合わせて演奏している。
D)1926年にIl Plettroから出版された印刷譜
一般に演奏されている版。第2主題はカットがあり、ancoraに向けた経過部は8小節となる。
E) 1926年にIl Plettroから出版された印刷譜 中野譜庫所蔵番号MC7-8
一般に演奏されている版。Dにティンパニが追加。

こうして俯瞰するとAからD.Eという順序で改訂が行われたと考えるのが自然だが、細部を比較すると改訂が逆戻りしている箇所も見られ(練習番号Lの直前のアウフタクト部分等)、 1911年の発表から1926年の出版までには15年という時が横たわっている事も併せて考察してもなかなか実際のところを断定する事は難しいだろう。第2主題の省略については先述の清田氏の指摘の通り、この部分は再現部では省略されるのが本来あるべき姿であり、初版では不完全だった部分を出版にあたって改訂したのだと考えられる。細部については厳密に何年の稿という風に作者自身が厳密に版を管理していたとは到底思えないが、出版にあたり作者の意向を踏まえて改訂が行われたものであろう。
なお2010年にイタリアで発刊された「Arrigo Cappelletti,musicista comasco 1877-1946」のバイオグラフィによれば1911年の管弦楽作品として Sinfonia Drammatica in 2 tempiという作品が記載されており括弧付きで(Ouverture Dramatique)と書かれている。本書によればこの作品が後にマンドリンオーケストラに書き写されたもので作者の最も成功作の一つであると記されている。更にいくつかの作品が同様に編纂されIl Plettro誌に発表されたとある。なるほど最初期の版にホルンが含まれている事はおおよそ合点がいくところとなるが、このホルンの拡大カノン風の旋律をなぜ以降の版で外してしまったのかという点が逆に気になる所とも言える。また2 tempiという点については、特に本書には記載がないが、直前の作品であるSinfonia in Solを踏まえればAllegro Vivaceからが2 tempiだったのであろう事が推測される。本作についてはオーケストレーションに難点がある事は従前より多くの識者が指摘しているところではあるが、こうした管弦楽作品からの編纂であったとすると、短期間のうちに移しかえたと見る事も出来なくはない。一方で本作の特長のひとつである二種類のシンコペーションの組み合わせによる多層化については管弦楽よりもマンドリンオーケストラの方がその表現がアグレッシブに出来る事や、記譜が単純化されている分効果的な事は容易に想像出来る。本作がマンドリン作品でのみ生き長らえてきた事には、オーケストレーションの難点を補ってあまりある作品の魅力だけではない撥弦楽器の優位性もあったと見ることが出来ると考えられる。
蛇足であるが、本作品のタイトルについてはdracmatiqueとなっているがそのような単語は存在せずdramatiqueが正しい。しかし初期稿のモットーがフランス語である事を考えるとフランス語風に洒落っ気でcを入れたのではないか、などの四方山話をしながら当時の斯界に想いを馳せる事は我々が出来る後世への伝承の一つになるかもしれない。
更に余談ではあるが、長男のFurvioは建築家であったが、孫のArrigoは祖父から作曲を学びジャズピアニスト、エッセイストとして活躍をしており、上述書の巻頭言を飾っている。皆さんが現在youtube等でArrigo Cappellettiで検索して真っ先に出てくるのは孫のカッペルレッティさんである。

参考資料:南谷博一「マンドリン辞典」、同志社大学マンドリンクラブ第132回パンフレット、ぶろきよ (http://blokiyo.at.webry.info/)、Arrigo Cappelletti, musicista comasco 1877-1946,NODO libri刊
協力:同志社大学マンドリンクラブ、吉田雄介様
posted by コンコルディア at 19:58| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

少年の詩

(1989/2015)
水野真人
Masato Mizuno (1959 Nagoya ~ )

I. Allegro
II. Andante tranquillo
III. Allegro assai

 作者は名古屋の作曲家で、マンドリンのためには1980年代半ばから1990年代頭にかけて十数曲の曲を作曲している。少年の詩はそのうち作曲者の地元で初演された(これまでのところ)唯一の作品で、名古屋市立大学ギターマンドリンクラブの委嘱で1989年に作曲され、第24回東海学生マンドリン連盟合同演奏会の愛知教育大学ブロックで初演された。同年に初演された作者のマンドリン作品はセレナード第4番「3つのメルヘン」とディヴェルティメント第2番「おとぎの国の少年」で、本曲はそれらの曲と内容上の関連が持たされている。本曲は2015年に若干の改訂を加えて、フォレストヒルより楽譜が出版されている。本日はその改訂版の楽譜を用いて演奏する。
 全体は急-緩-急の3楽章からなるソナタ構造を有している。第1楽章はソナタ形式に依り、短い序奏の後にイ短調の第1主題、ハ長調の第2主題A、ニ長調の第2主題Bが提示される。第1主題と第2主題Bは動機を共有している。展開部の後、再現部ではいずれの主題も主調(または同主調)で再現される。第2楽章は三部形式による間奏曲である。主題が最初にニ長調・6/8で緩やかに提示された後、イ長調・2/2に転じて少し動きをもって演奏される。中間部は第1楽章の断片によるAllegroと無調で書かれたAdagiettoからなる。再現部では、冒頭と同じ拍子とオーケストレーションで、主題が今度はイ長調で奏される。第3楽章はソナタ形式に依り、イ短調の第1主題、ハ長調の第2主題A、ホ長調の第2主題Bを有する。第1主題は第1楽章の序奏と共通の上昇音型を持ち、第2主題AとBは第1楽章の第2主題Aと共通の動機を持つなど、第1楽章からの関連性が強く表れている。展開部を挟んで再現部では全ての主題が主調(または同主調)で再現されるが、第2主題Aの再現では楽想に変化が見られる。最後は第1楽章の序奏の動機が現れてコーダとなって終わる。
 少年は未完成であるがゆえに成長を繰り返すものである。本曲では、前向きな楽想の中に成長への希望が強く感じられる。第1楽章では第1主題と第2主題Bに共通の動機を用いているために第2主題Bでは第1主題からの発展が感じられるし、第3楽章での第2主題Aの再現においても提示からの変容が感じられる。第2楽章の再現の調を敢えて冒頭の調と異なるものとする(提示における2つの形を併せ持つ再現とする)のにも、そのような変化を感じられる。昨日まで子供だった者が少し目を離した間に大きく成長し、未来を創り出していく。そのような希望を感じてお聴きいただきたい。

参考文献:第24回東海学生マンドリン連盟合同演奏会パンフレット
posted by コンコルディア at 19:57| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタNo.2 「ロマンティック」

マンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタNo.2 「ロマンティック」
Sinfonietta No.2 “Romantic” for Mandolin Orchestra (1974)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri (1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

I. Allegro
II. Adagio
III. Allegro molto – Andante – Allegro molto

 作者は生涯を関西を中心とした日本音楽界の為に捧げた日本のクラシック音楽史上の大功労者。朝比奈隆に師事し、1941年旧東京交響楽団にホルン奏者として入団したのを皮切りに、多くの楽団に在籍、大阪音大講師に就任した。「浪速のバルトーク」の異名を誇り、日本人の土俗的かつ原始的な感情に根ざした作風でオペラ、管弦楽曲、吹奏楽曲等、多くの分野で作品を残した。1958年に大阪府芸術賞、1991年に日本吹奏楽アカデミー賞を受賞した。
マンドリンオーケストラのためにはシンフォニエッタを始めとした純器楽のほか音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、その総数は約40曲にも及んで作者の作品の中でも多くの割合を占めている。最近、大栗裕記念会により、ティーダ出版から作者の作品のファクシミリ版楽譜が出版されており、既にシンフォニエッタの1、2、5、6番と交響的三章「巫術師」が発売されている。
 コンコルディアでは大栗のマンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタを全曲演奏に向けて定期演奏会にて継続的にとりあげており、今回はその6回目に当たる。大栗のマンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタは7曲(及び編成違いのサブナンバー1曲)が作曲されており、ソナタ形式等を用いた3楽章の形式を雛形としながら作曲者の音楽性が表現されている。最初の作品である第1番が1967年に書かれた後、本作の作曲までには7年の間が空いている。本作以降のシンフォニエッタは継続的に書かれており、本作はシンフォニエッタのシリーズ化を決定づけた作品と言うことができる。作曲者記に書かれているように本曲は短期間で急遽作曲されており、スコアにも繰り返しの複写を学生に行わせたとみられる部分があるなど、その様子が垣間見られる。本日の演奏では複写の指示ミスとみられる1小節を補って演奏する。
 全体構成は他のシンフォニエッタと同様に急-緩-急の3楽章からなり、第1楽章が再現が完全な繰り返しである疑似ソナタ形式、第2楽章が三部形式、第3楽章がロンド形式である。第2楽章の中間部の主題は第3楽章の第2エピソード(テンポを変えた中間部)と関連性が持たされている。作者の作風の中で、明るく軽快な面が特に強く表れた作品である。

参考文献:日本の作曲家―近現代音楽人名事典(日外アソシエーツ, 2008)、マンドリンオーケストラコンコルディア第26回定期演奏会パンフレット
posted by コンコルディア at 19:56| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マンドリンオーケストラのためのボカリーズIX「海原へ」

作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。
マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズI〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、昨年作者とご家族のウェブサイトであるクマハウス(http://kumahouse-16.sakura.ne.jp/kenichi_top.html)が立ち上げられ、適切な手続きを経て楽譜の購入演奏許諾が可能となっている。
本曲は1983年山口女子大マンドリンクラブの委嘱によって作曲されたものであるが、そのルーツは1982年5月22日名古屋で開催された第一回宇宙船地球号コンサート(熊谷賢一のマンドリンオーケストラ曲による平和の為の音楽会)でフォークグループ「鬼剣舞」によって演奏された「一粒の雨」である。その後本作を経て1988年には同声二部合唱曲「ひとつぶの雨」が編纂され、音楽之友社刊行の「教育音楽(中学・高校版)」に収載された。
IMG_2756.JPG

後期の熊谷作品はしばしば複数の合唱曲を組み合わせたメドレーの形式を取る事があったが本曲においては唯一曲をテーマにした構築が行われており統一感が感じられるものとなっている。熊谷氏の音楽が最終的に辿り着いた地点は二つの作品に凝縮されており、それが「群炎X」と本作である。歌謡性の到達点である本作がテーマを様々に変奏しながら、壮大なユニゾンで結ばれる事には感慨を禁じ得ない。情感あふれる旋律をマンドリンオーケストラという媒体を通じて「謡う」事を作品の本質と捉えた後年の作品はまさに「ボカリーズ」として花開いたと言える。またボカリーズ[と同様本曲にもフォークギターパートが設置され、大きな役割を果たしているが、熊谷作品の最大の魅力である「うたごころ」を鮮やかに彩ってその魅力をいっそう引き立てている事にも注目したい。
「ぼくはひとつぶの雨だった きみもひとつぶの雨だった 日がのぼればすぐにとけてしまう 風がふけばすぐ消えてしまう 人にふまれれば二度とおきあがれない 車にひかれれば二度と立ちあがれない ぼくはひとつぶの雨だったけれど きみもひとつぶの雨だったけれど ひとつぶの指とゆびがふれあえば どこかでやさしいなみだがあふれる ひゃくつぶの肩とかたがふれあえば どこかに小さな水たまりができる いく万の胸とむねがふれあえば どこかで小さな川がながれはじめる」
もう一つの到達点である群炎Xには「一人一人の小さな炎を寄せ合って未来を平和の炎で燃え上がらせよう」という熊谷作品が元々もっている願いが込められているが、対極的に見えるボカリーズにおいて、一粒の雨が次第に水たまりになり、やがては河となって海原を目指すという視点から同様な作者の想いを伺う事が出来る。そうした視点で描かれているのが、「河の詩」であり「海原へ」だと言えるだろう。群炎が点を中心とした大きなエネルギーを描いているとすればこれら「水」の音楽が描き出しているのは「時の流れ」である。河の流れは時の流れと同化して、作者はその中流、すなわち現在に立って、過去から未来へと流れていく時間を河に例えて表現しているのである。そして「ひとつぶの雨」の詩を担うのはあの「素晴らしい明日の為に」を書いた門倉詇その人である。2009年に惜しまれつつ没した門倉は戦後、平和と民主主義を歌で訴えたうたごえ運動の礎となった詩人である。
シリアスかつ斬新な響きの前期作品とある意味対局にあるとも言える後期の熊谷作品。「歌」を紡いで「祈り」続けてきた全ての熊谷作品には、純音楽である前期作品にも、昭和の時代、確かに日本に大きな足跡を残した「フォークソング」や「うたごえ運動」の系譜をかいま見られる後期作品にも、本質的に変わらない「うたごころ」が脈々と息づいている。コンコルディアは熊谷氏がその音楽人生をかけて産み出してきた「歌」と「祈り」を大切に守り、伝えていきたい。

参考文献:音楽家人名事典 新訂第3版 (日外アソシエーツ, 2001)、マンドリンオーケストラコンコルディア各種パンフレット、第一回宇宙船地球号コンサート「素晴らしい明日のために」パンフレット、クマハウスwebサイト(http://kumahouse-16.sakura.ne.jp/kenichi_top.html)

posted by コンコルディア at 19:54| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より交響的間奏曲

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より交響的間奏曲
“Cavalleria Rusticana” Intermezzo sinfonico (1890)
ピエトロ マスカーニ 作曲 清田和明 編曲
Pietro Mascagni (1863.12.7 Livorno~1945.8.2 Roma) / Rid. Kazuaki Kiyota

作者はイタリアの作曲家。生地のケルビーニ音楽学校でピアノと作曲を学び、卒業にあたってカンタータIn Filandaを書き、賞金を得た。またシラーの「歓喜の歌」に作曲し、それがミラノのコンクールに入選したためにラルデレル伯爵の目に留まり、ミラノ音楽院に留学することとなった。ミラノ音楽院ではポンキエッリらに学び、学友のプッチーニと一室を借りて暮らしたが中途退学した。その後は歌劇団などに加わって放浪を続けたが、チェリニョーラで結婚して定住し、本作を作曲することとなった。
カヴァレリア・ルスティカーナは一幕の歌劇で、現実的な題材で激情と抒情と対比させるヴェリズモ(現実主義)オペラの最初の代表作とされている。ジョヴァンニ・ヴェルガの同名の短編小説に戻づくもので、1890年にローマの楽譜出版商ソンゾーニョが一幕の歌劇の作曲の懸賞を募集したのに答えて作曲され、一等に入選した。マスカーニは本作の成功により一躍有名となり、本作は作者の出世作であると同時に代表作となった。カヴァレリア・ルスティカーナとは田舎の騎士といった意味であるが、話の筋書きは恋愛を元にしたわだかまりの結果決闘が行われて悲劇に至るというものである。
交響的間奏曲は終盤の前に配置されたもので、単独でも演奏されることが多い特に有名な曲である。 2つの部分からなり、前半は原曲では弦楽とオーボエによる宗教的な雰囲気の音楽で、非常に美しい繊細な進行の和声が特徴である。後半は対照的に旋律を中心とした音楽で、最初の小楽節の動機を巧みに組み合わせて印象的な旋律が作られており、原曲ではオルガンとハープのハーモニーの上に全弦楽器のユニゾンによって豊かに旋律が奏される。編曲にあたっては原曲のオーケストレーションの持つ雰囲気を重視し、マンドリンオーケストラの基本構成の弦楽器によってそれを表現した。

「最新名曲解説全集 第20巻 歌劇III」音楽の友社 (1980)
「音楽大事典」平凡社 (1983)
「新訂 標準音楽辞典 第二版」 音楽の友社 (2008)
posted by コンコルディア at 19:53| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワルツ「金と銀」

ワルツ「金と銀」 (1902)
フランツ・レハール作曲 知久幹夫編曲
Franz Lehár (1870.4.3 Magyarország〜 1948.10.24 Bad Ischl)

 作者はハンガリーのコマーロムに生まれる。プラハ音楽院でドヴォルザークらに学び、軍楽隊長を経てウィーンでオペレッタ作曲家としてデビュー。「銀の時代」とよばれたオペレッタの第二黄金期を代表する作曲家となる。
1905年、『メリー・ウィドウ』で一躍人気作曲家となるが、次第に作風は喜劇一辺倒のオペラからを脱し、瀟洒な笑いを内包しながらシリアスなテーマを展開する独自の形を確立していく。特に、1925年に初演された『パガニーニ』、1927年の『ロシアの皇太子』、そして1929年の『微笑みの国』は、これまでのオペレッタには無かった悲劇であり、レハール独特のウィンナ・オペレッタ路線を象徴する傑作である。
1938年3月にナチス台頭のドイツがオーストリアを併合した後には、夫人がユダヤ人の生まれであったにも拘らずドイツのナチス党政権からの庇護を受けたが、そのもとで新作を発表することはなかった。
今日演奏されるレハールのワルツの多くは「メリー・ウィドウ」を始めとして自作のオペレッタから編曲されたものが多いが、「金と銀」はそれらとは生まれを異にしており、独立した管弦楽用ワルツとして作曲されたもの。本作は、1902年の謝肉祭の間に催されたパウリーネ・メッテルニヒ侯爵夫人主催の舞踏会のために作曲された。題名の「金と銀」とは、この舞踏会の課題名で、会場は銀色に照らされ、天井には金色の星が煌き、壁一面に金銀の飾りが付けられ、参加者も金銀に彩られた思い思いの装飾を纏っていたと伝えられる。今日では代表的なウィンナ・ワルツとして、ヨハン・シュトラウス2世などの作品とともによく演奏される。
posted by コンコルディア at 19:52| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする