2019年07月10日

マンドリン・オーケストラの為の「劫」(1974/2017)

マンドリン・オーケストラの為の「劫」(1974/2017)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama(1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。
 その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導してきた経験を持ち、現在日本マンドリン連盟中部支部理事。作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。1984年及び1988年、名古屋マンドリン合奏団と共に団長兼指揮者としてソ連(当時)公演。同合奏団の1992年の中国公演と1996年のオーストラリア公演に音楽監督兼指揮者として参加。1997-2004年、マンドリン合奏トレーニングのためのEnsemble ESCHUEを主宰指導。2004年に「カエリヤマファイナルコンサート」を開催。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。
 作品は初期の挑戦的な作品や西洋音楽の模倣などを皮切りに、1970年代中期には独特な和声感と撥弦楽器の構造的特性やマンドリン属が持つ金属打楽器的な要素を活かし、更にそれらを集団体と捉える独自の音響設計や作風を確立した。それらは作品の根底に常に=現代社会の人間疎外の憂鬱の中で『人間の持つ宿命的な寂しさ』をしっかり見つめ、いかにして人間らしく生き抜くか=という音楽と人生の命題を宿し、作品に厳しさと温かさを与えて、従来の西洋音楽の枠内の作品を演奏していた若者たちの中のアヴァンギャルドな音楽を指向する者達を中心に熱烈に支持された。80年代初頭の実験的ないくつかの作品を経て82年には「反核 日本の音楽家たち」に参画、Ouverture Historique No.4にはその旨を記している。80年代中期以降は侘(わび)寂(さび)に通ずる静謐の中に心理的描写を埋め込むような諦観とも言える美しさが独自の精神世界を産み、作風はギターを中心に据えるオーケストレーションなどが際立ってきた。特にライフワークのように書き綴られてきたOuverture Historiqueの世界は氏の円熟に併せ、またその折々の時代を映して作品群のマイルストーンとなってきた。最新作のNo.7においては梵鐘の音を模した響きから始まり、明確な調性感を持って未来を切り拓く者の為の音楽を改めて指し示した。また直近作「Memories of 60(Sixty)」や「オタケとコタケ」においては回想的な表現や自然への回帰などますます円熟の度合いを増している。
 本曲は氏の作品の中でもっとも特異な経過を辿り、非常に多くの経過的異稿が存在している。初版は1974年に金城学院大学の委嘱により作曲されたもので、氏の作品の中でも最も複雑かつ深遠と言える難解な作品である。その後1979年改作に際して、全面的な再構築と和声の整理が行われ、初版の後半約1/3を削除し、改作では後半となっている中間部分の素材を残し書き改める程の荒療治を施している。この改作版は若干の表情記号修正と体裁を整えグループレムより出版、一流の刀匠の作品の如く均整のとれた研ぎ澄まされた美しさでその後の演奏のスタンダードとなった。1981年には桑原康雄氏の依頼でギターを除くアンサンブル版に改変され、その際に後半部分を中心に繰返しや転調による小節の追加等増補が行われた。1984年名古屋大学GMCの指揮者であった池谷裕之氏はこのアンサンブル版をオーケストラ版に戻す再改訂を行い、その後1991年酒井国作氏が同改訂のマンドラパートを分割しマンドラコントラルトを加え、オーケストレーションにも手を加えた平成版を作成、その後も同じく酒井氏による21世紀版などが編まれてきた。
 今回は歸山氏自身が2017年に1979年の改作版にマンドローネパートを追加し、微修正を加えたものを浄書し、おそらく確定版となるであろう稿を作成されたためそれを用いて演奏する。79年版は頂点となる部分が絞り込まれ集中度の高い鋭角的なものとなっている為、同版を踏襲した2017年版もマンドローネを単なる低音の増強ではなく深みのある単音として使用する等非常に硬質で引き締まった仕上がりとなっている。
 この曲を紹介するのには、以下の名古屋大GMC 第31代指揮者である瀧博氏の示唆に富んだ文章を紹介してみよう。
『ヨーロッパの芸術は−(中略)−常に間隙を埋めるためにあった。彼らにとっては空白とは不安なのである。西洋史とは、思想の交替と民俗交替の仮借ない戦争の歴史であって、秩序というものは常に破壊されうる対象であり、(中略)、これらに対する不安を排除するためにも間隙は埋められねばならない。逆に日本人は、空白を大事にする。(中略)何百年来、変わらず移り行く自然、人も変わらない。
この共通感情が焦点を一点に絞り、その裏に多くの暗示を含ませる事を可能にした。(中略)日本の音楽は、空白の中の一点にあり、言わば「間」の中に「音」がある訳だ。西洋の音楽は音の中の休止としての間がある。この根本的な違いを無視して「日本的」云々を論ずるのは無理があるとしか言いようがない。帰山氏の「日本的」な音楽作品には、部分的ではあるがこの種の「音」が取り入れられている箇所が随所に出てくる。』
 「劫」は梵語(漢字文化圏でいうサンスクリット語)のkalpa(カルパ)を「劫波」と漢語の音で写したのを略したものと言われている。意味は、きわめて長い時間、古代インドにおける時間の単位のうち「最長のもの」とされ、その比喩としては「7km3の箱に芥子の実を詰め、百年に一度、一粒取り出していき、すべて取り出してもまだ余りある時間」などと表現されていて、もはや想像すら出来ない程無限の時間軸を表している。それで納得出来る御仁はよいが、理数系の方などはそうは言っても実際はとなるので突き詰めてみよう。教派部派により、その長さの定義は異なっており、こうした課題を理解して行くためには本来古代インド仏教とは何かに遡るわけだが、ここではそこまでの頁数を割く事が出来ない。よってポイントをいくつか提示する。古代インド仏教はインド哲学の一部分を成すが、そのルーツは「ヴェーダ」と呼ばれるインド最古の文献で、「知識」という意味を有する書に行き着く。この「ヴェーダ」の中に「ウパニシャッド」という奥義書があり、ここで語られる究極の悟りが「梵我一如」と呼ばれる宇宙を支配する原理=個人を支配する原理でその両者が同一であるという教えである。その真理を知る事で全ての苦悩から開放され解脱に達することができるとされており、すなわち輪廻の業が終わることを意味するのだそうだがこの修行から解脱に至るまでの時間の単位として「劫」が使われている。このヴェーダ信仰と階級社会にあったバラモン教を受け継いでインド土着の宗教となったのがヒンドゥー教である。いわゆるカースト社会の輪廻から解脱する事を求めたものだが、このヒンドゥー教における「劫」は1劫(カルパ)=43億2000万年となっている。(インド仏教における神々の1年=人間の360年、神々の4000年がクリタ・ユガ、3000年がトレーター・ユガ、2000年がドヴァーパラ・ユガ、1000年がカリ・ユガであり、それぞれのユガはその1/10の薄明と薄暮-400年・300年・200年・100百年-総計2,000年を伴っているので計12,000年からなる期間がマハーユガと呼ばれている。すなわち、これを人間の時間に直すと432万年ということになる。更に、このマハーユガが1000集まったもの(43億2000万年)がブラフマー神の昼であり、これが一カルパ(劫)と呼ばれる。)
 曲は単一の楽章であるが『間』の音楽である前半部と一転して轟然としたリズムのめくるめく後半部に分けられる。静謐で予兆に満ちた響きの中からまずギターに本曲の『核』となる五・七・五のリズムが現れる。その後音楽はセロの印象的な増四度のリズムによって断ち切られる。前半部分はこの2つの音形に沿って『核』となる半音階的な主題が導き出され、執拗に繰り返される。一方、後半部はこの『核』となる主題が五・七・五・七・七の激烈なリズムにのって登場するが、混沌とした中には作者の初期作に見られるような声部間の音形の受渡しのスケールも現れる。オスティナートがクライマックスに向けて果てしなく高揚していくが行き着いた先では轟然とした響きの果てに、再び静寂と空間的安定を取り戻して、薄明と薄暮の中、無限の空間に収斂していく。殊に終結部分は後年の歸山作品に見られる一種独特の諦観にも似た、『深遠=永劫』にを先取りした響きに触れる瞬間である。
 本曲は作者の作品の中で、最も『マンドリン・オーケストラ』という発音形態と『日本』的な音楽観にこだわった力作で、本曲を氏の最高傑作と評する人も少なくない。学生のみならず、社会人団体においても本稿がこれまで演奏機会を得られなかったように、近年の選曲傾向の中ではこうした作品が顧みられる事は今後益々減少していくのかも知れないが、私たちは「信念とこだわり」をもち「生きることを問いかける」作曲家の魂を追求していきたい。

解説:横澤恒
参考文献:
『帰山栄治作品解説集』 https://www.bass-world.net/kaeriyama/
『ときの地域史』〜インドにおける「とき」 --- 劫・輪廻・業 ---(佐藤次高・福井憲彦編/ 山川出版社)
NHK高校講座「古代インド〜仏教とアショーカ王〜」
Hindu mythology, Vedic and Purānic (3rd ed.). (Wilkins, William Joseph , Tracker,Spink & co)
『ヒンドゥー教−インドの聖と俗』(森本達雄/中公新書)
インド哲学のおすすめ本4選!インド哲学や釈迦についても解説http://biz.trans-suite.jp/8011
仏教WEB入門講座 https://true-buddhism.com/teachings/awakening/ 世界大百科事典(平凡社)
ブリタニカ国際大百科事典
posted by コンコルディア at 12:50| Comment(0) | 47th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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