2018年07月08日

交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」

交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」
Pianto di Glauco, Intermezzo sinfonico (1951)
アンジェロ・マッツォーラ
Angelo Mazzola(1887.5.11 Bergamo〜1974.10.2 Bergamo).

 作者は1887年イタリア・ベルガモに生まれたギタリストで作曲家。ヴァイオリンの教授でありギターにも造形の深かったAntonio Lavezzariについてギターを学び始めた。ジュディチの指揮する”エステュディアンチナ・ベルガマスコ”には合奏団の創立(1907)の後、間もなくその活動に参加し、以来、家業の仕立屋(ベルガモで最も著名なブランドの一つ)を営みながら斯楽に対して並々ならぬ情熱を傾け、後年はギターパートの首席奏者を務め、また時には指揮者としても演奏会に臨み、合奏団の育成発展に大きく貢献した。さらに自らマンドリンクワルテット”Quartetto Mandolinistico Mazzola”を組織して活躍した。長年多くのマンドリニストの伴奏者として喜び迎えられ、ギター独奏家として立つに至った。作曲は25歳の頃から独学で始めたという。多くの経験は作曲の上にも生かされ、「牧人の夢」等がミラノのイル・プレットロ誌から出版された。また1950年代に自家出版のかたちで沢山のマンドリン曲、ギター独奏曲を出版した
 「グラウコの悲しみ」は1951年にベルガモで発行された。自家製のようなコピー版で、1965年高橋功氏がアフリカからの帰途、イタリアで入手され、中野二郎氏に贈られたものである。同年同志社大学マンドリンクラブで田中昭彦氏の指揮で日本初演された。
 グラウコスについてはギリシャ神話に次のような話がある。
 グラウコスは漁師をして暮らしていたが、ある時不思議な草を食べて、下半身は魚であるが、上半身は人間のままで、頬には緑青のように青い鬚がいっぱい生えている海の神となった。
 グラウコスは、スキュラという美しい少女に恋をしたがなかなか成就しなかった。彼は旧知のキルケーを訪ね、キルケーの魔法の力でなんとかスキュラの心を自分の方に向わせてくれないかと頼み込んだ。もともとキルケーはグラウコスに好意を持っていたので、スキュラの事を嫉妬し、魔法の草を煮て怪しい薬汁を作り、スキュラがいつも水浴びをする池の水にその薬を混ぜこんだ。スキュラが池にやってきて水浴びをすると、彼女の身体から三匹の恐ろしい犬の首が生えだしてきた。スキュラはそれが自分の身体とは思わず、悲鳴を上げて池から逃げ出し、やがて事の真相に気づいたのであった。一部始終を傍らに隠れて見ていたグラウコスはスキュラのあまりの醜さに嘆き悲しみ、自らの行いを後悔した。スキュラはその後メッシーナの崖の岩窟に隠れて、下を通る船の水夫たらを襲って餌食する怪物になったという。(呉茂一著「ギリシャ神話」新潮社 より)

 「グラウコの悲しみ」と言えば岡村光玉氏を抜きにして語る事は出来ない。岡村氏を語る時に必ず引き合いに出るのがC.ムニエルのお墓再興と晩年のマッツォーラ訪問の話だが、SMDを卒部されてからの凄まじい人生は著作の「歌に生き、夢に生き」に詳しく、ギターの時間のWebページ上のインタビューでもその一端を読む事が出来る。そして英雄葬送曲やアマデイの組曲の数々も岡村氏の尽力があって今の私たちが演奏できている事も忘れてはいけない。
 その岡村氏が晩年の作者を訪ねた折り、当時のマツォーラは心臓疾患による左半身不随で言葉ももうあまり話せなかったが長男が同席して面会がかなった。マッツォーラは遙かな国からの来訪に狼狽しながらも東方の地で自分の作品が演奏されている事に驚き、涙を浮かべて岡村氏を歓待し、その様子は当時の新聞にも掲載された。お礼にSMDの演奏テープを贈ったところ、次男代筆の手紙で「グラウコの悲しみ」の演奏を聴きたいと希望された為、日本から演奏テープを取り寄せ送った。既に入院していたマッツォーラはその演奏を聴きながら亡くなり、やはり次男から「限りない感謝の意を岡村氏に、父はそのテープを聴きました、そして非常に幸福そうにして、貴方に礼を言ってくれと」とのお手紙をいただいたという逸話が残されている。(「同志社大学マンドリンクラブ80年の歩み」参照)
 その後彼の全作品は2004年にベルガモのアンジェロ・マイ図書館に寄贈され公開されている。
 この作品には音楽作品では見られないcon orgoglio、angosciosoという記載があり、岡村氏は同作の演奏においてこれらを強く印象づけようとされていた。orgoglioは「誇りを持って」、angosciosoは「悲惨な:つらい:ひどい」などの意味であるが、angoscioso + piantoで深意を探ってみると、かのダンテの神曲に以下のようなフレーズが見られる。
 "che si bagnava d’angoscioso pianto;"こちらは「谷底は、苦患の絞り出す涙で濡れていた。」と訳されているが、「苦患」とは大辞泉によると「地獄におちて受ける苦しみ」とあり、まさに堪えがたい苦痛を表す言葉と言える。

参考文献
オザキ譜庫出版:グラウコの悲しみ総譜解説
同志社大学マンドリンクラブ80年の歩み -Angelo Mazzola氏との出会いとその死-
ギターの時間 岡村光玉インタビュー(同志社大学マンドリンクラブ100周年記念座談会
大辞泉
posted by コンコルディア at 20:38| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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