2017年06月06日

劇的序曲

劇的序曲〜アレッサンドロ・ヴィッツァーリによる手写譜初期稿
Ouverture Dracmatique (1911)
アルリーゴ・カッペルレッティ
Arrigo Capelletti (1877.11.16 Como〜1946.10.16 Como)

作者はイタリアのコモに生まれ、同地に逝いた斯界の至宝的作曲家の一人。同地の音学院でポッツォーロ教授よりピアノ、オルガン、対位法といった基礎を学び、ボローニャのフィラルモニカではピアノと作曲法、吹奏楽を、ミラノのヴェルディ音楽院ではオルガン、合唱といった課程で次々とディプロマを獲得した。経歴からも推測できるように多様なジャンルに作品があるが、特にオルガン作品を得意とし、コモのフェデーレ教会のオルガニストにもなり、各地のオルガン曲コンクールでも度々入賞したという。また宗教音楽のジャンルにも優れた作品を残しており、殊に対位法を駆使したその作曲技法には自信を持っていたと思われる。また、生地コモの山々をこよなく愛し、かなり距離のあるミラノのスカラ座まで歩いて通ったという。斯界では同地の伝統あるマンドリン合奏団である”Circolo Mandolinistico Flora”(現“Orchestra Plettro Flora”)の指揮者として活躍し、U.ボッタキアリも同団のタクトをとった事から親交が厚かったという。(この伝統ある合奏団はそののち、かのU.ゼッピに引き継がれ繁栄した)
本曲は1911年のIl Plettro誌主催の第4回作曲コンコルソでS.ファルボの『序曲ニ短調』に並んで、第1位に入賞した作品。本邦では1928年に早くも同志社大学が取り上げている。
本作品に多くの版の総譜が存在している事はよく知られている事であるが、ここでひとまずその整理をつけておこう。いくつかの版で注目されるのは主に、第二主題の省略と、Piu mosso ancoraに至る経過句の増減という曲の構成上の違いと、第二主題におけるアウフタクトのアクセント処理と装飾音符の扱い、同一旋律におけるレガートとテヌートという二層表現など演奏する上での適切な表現上の違いがあると考えられる。これら版による違いは当団清田氏の下記ブログで詳細に解説されているので興味のある方は参照されたい。
現在確認されている本作品の総譜は5種類で以下の通り。
A)Alessandro Vizzariによる手写譜@ 中野譜庫所蔵番号MC7-10
唯一、作品のモットーと思われる「情熱の翼に乗って(sur les ailes du desir)」が冒頭に記載された最初期の版と思われるうちのひとつ。曲頭と曲尾にホルンが奏されるが特に曲尾のPiu mosso ancora においては5小節目から冒頭主題をカノン風に演奏する事もあり、異色な響きが味わえる。第2主題の省略はなく、ancoraに向けた経過句は4小節。来月アンサンブル・ビアンカ・フィオーリで演奏される。
B)Alessandro Vizzariによる手写譜A 中野譜庫所蔵番号MC7-7A
こちらも最初期の版と考えられるうちのひとつ。Mandolaパートに8va表現が見られる。中野譜庫には途中ページまでしか所蔵されていなかったが、昨年同志社大学マンドリンクラブで全ページの存在が確認された。第2主題の省略はなく、ancoraに向けた経過部は4小節。第2主題再現部終盤のmolto ritenuto in 2という記載がこの版にだけ無い。本日演奏するのはこちらの版で、この版を明記しての演奏はおそらく過去にないと思われる。また明らかな記譜上の誤りについては訂正をして演奏する。。
C)Alessandro Vizzariによる手写譜B 中野譜庫所蔵番号MC7-7@
出版に至る途中で改訂されたと思われる版だが、数カ所前後の版とは異なるフレーズの変更が見て取れる。第2主題の省略はなく、ancoraに向けた経過部は4小節。コンコルディア第24回では当時MC7-7Aの途中までしか存在しなかったページとこちらを組み合わせて演奏している。
D)1926年にIl Plettroから出版された印刷譜
一般に演奏されている版。第2主題はカットがあり、ancoraに向けた経過部は8小節となる。
E) 1926年にIl Plettroから出版された印刷譜 中野譜庫所蔵番号MC7-8
一般に演奏されている版。Dにティンパニが追加。

こうして俯瞰するとAからD.Eという順序で改訂が行われたと考えるのが自然だが、細部を比較すると改訂が逆戻りしている箇所も見られ(練習番号Lの直前のアウフタクト部分等)、 1911年の発表から1926年の出版までには15年という時が横たわっている事も併せて考察してもなかなか実際のところを断定する事は難しいだろう。第2主題の省略については先述の清田氏の指摘の通り、この部分は再現部では省略されるのが本来あるべき姿であり、初版では不完全だった部分を出版にあたって改訂したのだと考えられる。細部については厳密に何年の稿という風に作者自身が厳密に版を管理していたとは到底思えないが、出版にあたり作者の意向を踏まえて改訂が行われたものであろう。
なお2010年にイタリアで発刊された「Arrigo Cappelletti,musicista comasco 1877-1946」のバイオグラフィによれば1911年の管弦楽作品として Sinfonia Drammatica in 2 tempiという作品が記載されており括弧付きで(Ouverture Dramatique)と書かれている。本書によればこの作品が後にマンドリンオーケストラに書き写されたもので作者の最も成功作の一つであると記されている。更にいくつかの作品が同様に編纂されIl Plettro誌に発表されたとある。なるほど最初期の版にホルンが含まれている事はおおよそ合点がいくところとなるが、このホルンの拡大カノン風の旋律をなぜ以降の版で外してしまったのかという点が逆に気になる所とも言える。また2 tempiという点については、特に本書には記載がないが、直前の作品であるSinfonia in Solを踏まえればAllegro Vivaceからが2 tempiだったのであろう事が推測される。本作についてはオーケストレーションに難点がある事は従前より多くの識者が指摘しているところではあるが、こうした管弦楽作品からの編纂であったとすると、短期間のうちに移しかえたと見る事も出来なくはない。一方で本作の特長のひとつである二種類のシンコペーションの組み合わせによる多層化については管弦楽よりもマンドリンオーケストラの方がその表現がアグレッシブに出来る事や、記譜が単純化されている分効果的な事は容易に想像出来る。本作がマンドリン作品でのみ生き長らえてきた事には、オーケストレーションの難点を補ってあまりある作品の魅力だけではない撥弦楽器の優位性もあったと見ることが出来ると考えられる。
蛇足であるが、本作品のタイトルについてはdracmatiqueとなっているがそのような単語は存在せずdramatiqueが正しい。しかし初期稿のモットーがフランス語である事を考えるとフランス語風に洒落っ気でcを入れたのではないか、などの四方山話をしながら当時の斯界に想いを馳せる事は我々が出来る後世への伝承の一つになるかもしれない。
更に余談ではあるが、長男のFurvioは建築家であったが、孫のArrigoは祖父から作曲を学びジャズピアニスト、エッセイストとして活躍をしており、上述書の巻頭言を飾っている。皆さんが現在youtube等でArrigo Cappellettiで検索して真っ先に出てくるのは孫のカッペルレッティさんである。

参考資料:南谷博一「マンドリン辞典」、同志社大学マンドリンクラブ第132回パンフレット、ぶろきよ (http://blokiyo.at.webry.info/)、Arrigo Cappelletti, musicista comasco 1877-1946,NODO libri刊
協力:同志社大学マンドリンクラブ、吉田雄介様
posted by コンコルディア at 19:58| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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