2017年06月06日

マンドリンオーケストラのためのボカリーズIX「海原へ」

作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。
マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズI〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、昨年作者とご家族のウェブサイトであるクマハウス(http://kumahouse-16.sakura.ne.jp/kenichi_top.html)が立ち上げられ、適切な手続きを経て楽譜の購入演奏許諾が可能となっている。
本曲は1983年山口女子大マンドリンクラブの委嘱によって作曲されたものであるが、そのルーツは1982年5月22日名古屋で開催された第一回宇宙船地球号コンサート(熊谷賢一のマンドリンオーケストラ曲による平和の為の音楽会)でフォークグループ「鬼剣舞」によって演奏された「一粒の雨」である。その後本作を経て1988年には同声二部合唱曲「ひとつぶの雨」が編纂され、音楽之友社刊行の「教育音楽(中学・高校版)」に収載された。
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後期の熊谷作品はしばしば複数の合唱曲を組み合わせたメドレーの形式を取る事があったが本曲においては唯一曲をテーマにした構築が行われており統一感が感じられるものとなっている。熊谷氏の音楽が最終的に辿り着いた地点は二つの作品に凝縮されており、それが「群炎X」と本作である。歌謡性の到達点である本作がテーマを様々に変奏しながら、壮大なユニゾンで結ばれる事には感慨を禁じ得ない。情感あふれる旋律をマンドリンオーケストラという媒体を通じて「謡う」事を作品の本質と捉えた後年の作品はまさに「ボカリーズ」として花開いたと言える。またボカリーズ[と同様本曲にもフォークギターパートが設置され、大きな役割を果たしているが、熊谷作品の最大の魅力である「うたごころ」を鮮やかに彩ってその魅力をいっそう引き立てている事にも注目したい。
「ぼくはひとつぶの雨だった きみもひとつぶの雨だった 日がのぼればすぐにとけてしまう 風がふけばすぐ消えてしまう 人にふまれれば二度とおきあがれない 車にひかれれば二度と立ちあがれない ぼくはひとつぶの雨だったけれど きみもひとつぶの雨だったけれど ひとつぶの指とゆびがふれあえば どこかでやさしいなみだがあふれる ひゃくつぶの肩とかたがふれあえば どこかに小さな水たまりができる いく万の胸とむねがふれあえば どこかで小さな川がながれはじめる」
もう一つの到達点である群炎Xには「一人一人の小さな炎を寄せ合って未来を平和の炎で燃え上がらせよう」という熊谷作品が元々もっている願いが込められているが、対極的に見えるボカリーズにおいて、一粒の雨が次第に水たまりになり、やがては河となって海原を目指すという視点から同様な作者の想いを伺う事が出来る。そうした視点で描かれているのが、「河の詩」であり「海原へ」だと言えるだろう。群炎が点を中心とした大きなエネルギーを描いているとすればこれら「水」の音楽が描き出しているのは「時の流れ」である。河の流れは時の流れと同化して、作者はその中流、すなわち現在に立って、過去から未来へと流れていく時間を河に例えて表現しているのである。そして「ひとつぶの雨」の詩を担うのはあの「素晴らしい明日の為に」を書いた門倉詇その人である。2009年に惜しまれつつ没した門倉は戦後、平和と民主主義を歌で訴えたうたごえ運動の礎となった詩人である。
シリアスかつ斬新な響きの前期作品とある意味対局にあるとも言える後期の熊谷作品。「歌」を紡いで「祈り」続けてきた全ての熊谷作品には、純音楽である前期作品にも、昭和の時代、確かに日本に大きな足跡を残した「フォークソング」や「うたごえ運動」の系譜をかいま見られる後期作品にも、本質的に変わらない「うたごころ」が脈々と息づいている。コンコルディアは熊谷氏がその音楽人生をかけて産み出してきた「歌」と「祈り」を大切に守り、伝えていきたい。

参考文献:音楽家人名事典 新訂第3版 (日外アソシエーツ, 2001)、マンドリンオーケストラコンコルディア各種パンフレット、第一回宇宙船地球号コンサート「素晴らしい明日のために」パンフレット、クマハウスwebサイト(http://kumahouse-16.sakura.ne.jp/kenichi_top.html)

posted by コンコルディア at 19:54| Comment(0) | 45th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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