2018年07月08日

第46回定期演奏会

マンドリンオーケストラコンコルディア第46回定期演奏会
日 時 2018年7月16日(月・祝) 開場:16:00、開演:16:30
場 所 かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホール
(京成本線「青砥駅」徒歩7分)
入場料 無料(チケットなしでもご入場いただけます)

第1部
群炎IV 熊谷 賢一
シンフォニエッタNo.7+1/2 大栗 裕

第2部
序曲「ロシアの祭日」 Александра Пахмутова/ 歸山 榮治 編曲
コンチェルト・ファンタジー Бори́с Алекса́ндров/ 歸山 榮治 編曲

第3部
歌劇「ウラガーノ」より第三幕への前奏曲 Ugo Bottacchiari/石村隆行 編曲
交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」 Angelo Mazzola
シンフォニエッタ第1番 大栗 裕

46th_1.jpg 46th_2.jpg

大栗裕は1918年7月9日に生まれ、2018年には生誕100周年を迎えます。数奇な縁で、例年6月に開催しているコンコルディアの定期演奏会も今回は7月になりました。コンコルディアでは第38回定期演奏会から大栗のシンフォニエッタシリーズの全曲演奏に取り組んでおり、生誕100周年に合わせて最後の作品を演奏します。
大栗はマンドリンオーケストラのためにシンフォニエッタシリーズをはじめとした純器楽の他、音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、総数は約40曲にも及んで全ての作品の中でも多くの割合を占めます。シンフォニエッタは7曲が存在し、標題を有しないか純音楽的な標題である絶対音楽の作品と、叙事的な標題を有する標題音楽の作品を含みます。コンコルディアの全曲演奏では、最初に最終作であるNo.7「コントラスト」を演奏した後に、まずNo.6「土偶」、No.4「ラビュリントス」、No.3「ゴルゴラの丘」という標題音楽のラインを遡って演奏し、その後No.5、No.2「ロマンティック」という絶対音楽のラインを辿って演奏しました。その演奏の中で、標題音楽として書かれている作品においては標題上の意味をもつ主題を循環形式で扱うことによって深い内容が作られていること、標題を有しないNo.1とNo.5については暗示的な標題イメージが投影されていること(No.1は伎楽のイメージで作曲されており、No.5は標題音楽である組曲「陰陽師」と第3楽章を共有している)を理解してきました。
今回演奏するシンフォニエッタ2作品のうち、1曲目はシンフォニエッタNo.7+1/2です。オリジナルのNo.7「コントラスト」は、シンフォニエッタのシリーズ中では例外的に弦楽器のみの編成で書かれていました。これに管楽器を加筆してサブナンバーを与えたのがNo.7+1/2で、この曲がシンフォニエッタシリーズ最後の作品となりました。そして全曲演奏の大トリを飾るのはシリーズの原点であるシンフォニエッタNo.1です。関西学院大学マンドリンクラブの創立50周年を祝して作曲された本曲は、大栗裕生誕100周年を記念するに相応しい名曲です。
No.7+1/2にはNo.1に通じる動機を共有しており、シリーズとして大きな循環形式を形成しています。今回の演奏会は一度にこの2曲をお聴きいただくことで、シンフォニエッタがシリーズとして描こうとしたものを感じていただける稀有な機会となります。全曲演奏を行ったコンコルディアだからこそできる演奏を是非お楽しみください。
posted by コンコルディア at 20:45| Comment(0) | コンコルからのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタ第1番

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタ第1番
Sinfonietta No.1 for Mandolin Orchestra (1967)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri (1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

I. Allegro
II. Andante
III. Allegro molto

 本曲は関西学院大学マンドリンクラブの創立50周年を記念して作曲され、1967年11月に同クラブの第42回定期演奏会にて初演された。初演時のパンフレットには単に「マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタ」と書かれており、1972年の「大栗裕氏を迎えて15周年記念特別演奏会」の再演時にもパンフレットに同様の表記がなされている。このため、第1番というナンバーは後年、シリーズの後作ができた後に付けられたと考えられる。
 大栗裕は1958年に関西学院大学マンドリンクラブの技術顧問に就任し、1961年からマンドリン合奏のための作曲作品を発表するようになった。しかし、作曲者記にあるように本作以前には純器楽の作品は無かった。技術顧問就任から10年を経て、満を持して純器楽作品を作曲したのが本作である。
 シンフォニエッタ第2番の作曲までは7年の間があり、本作の作曲時点ではシンフォニエッタのシリーズ化を想定していなかったと考えられる。急緩急の三楽章は後作に通じるが、特に第1楽章の楽式はかなり自由であり、ソナタ形式の楽章を第1楽章に配置する他のシンフォニエッタと大きく異なる。本作の第1楽章は序奏を有する三部形式のような形式である。この楽式は、伎楽のストーリーを再現するという意図によるものが大きいと考えられる。
 伎楽とはかつて存在した日本の伝統演劇で、飛鳥時代から奈良時代にかけて盛んに上演されたが、平安時代を経て鎌倉時代になると次第に上演されなくなった。元は中国南部の呉に由来する楽舞であったが、そのルーツについても、中央アジア方面を発祥とするなど諸説ある。寺院楽として仏教寺院で上演されたもので、伎楽面と呼ばれる各種キャラクターの仮面を被って演じられ、ある種のパレードと伴奏を伴う無言劇で構成された。現在知られている伎楽のストーリーは、伎楽が既に衰退した1233年に著された教訓抄という楽書に記されたもので、下記のようなものである。まず、治道が先導する行道と呼ばれるパレードで一行が登場する。呉王、金剛による登場の舞、迦楼羅によるテンポの速い舞、崑崙が呉女に言い寄り金剛と力士にこらしめられる演技、波羅門が褌をぬいで洗う演技、大孤の父子による仏への礼拝、酔胡とその従者(酔胡従)が酔っ払った演技が順に行われる。本曲の第1楽章がどのようにこのストーリーをなぞっているかは露には示されていないが、序奏に行道の雰囲気を見て取ることができるなど、大栗のイメージを想像しながら鑑賞することも面白い。
 第2楽章は、主題とその自由な展開からなる三部形式の緩徐楽章。第2楽章の主題は、第1楽章の中間部の主題と関連が持たされている。
 本曲の第3楽章は熱狂的な主題を有するロンド形式で、祝祭を表すものである。第1エピソードは主題の動機を用いたもので、第3エピソードは第1楽章の主題を用いたものである。関西学院大学マンドリンクラブの50周年を記念した本曲を、本日は大栗裕の生誕100周年の記念の曲として演奏することで、シンフォニエッタのチクルスを閉じたい。
posted by コンコルディア at 20:38| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」

交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」
Pianto di Glauco, Intermezzo sinfonico (1951)
アンジェロ・マッツォーラ
Angelo Mazzola(1887.5.11 Bergamo〜1974.10.2 Bergamo).

 作者は1887年イタリア・ベルガモに生まれたギタリストで作曲家。ヴァイオリンの教授でありギターにも造形の深かったAntonio Lavezzariについてギターを学び始めた。ジュディチの指揮する”エステュディアンチナ・ベルガマスコ”には合奏団の創立(1907)の後、間もなくその活動に参加し、以来、家業の仕立屋(ベルガモで最も著名なブランドの一つ)を営みながら斯楽に対して並々ならぬ情熱を傾け、後年はギターパートの首席奏者を務め、また時には指揮者としても演奏会に臨み、合奏団の育成発展に大きく貢献した。さらに自らマンドリンクワルテット”Quartetto Mandolinistico Mazzola”を組織して活躍した。長年多くのマンドリニストの伴奏者として喜び迎えられ、ギター独奏家として立つに至った。作曲は25歳の頃から独学で始めたという。多くの経験は作曲の上にも生かされ、「牧人の夢」等がミラノのイル・プレットロ誌から出版された。また1950年代に自家出版のかたちで沢山のマンドリン曲、ギター独奏曲を出版した
 「グラウコの悲しみ」は1951年にベルガモで発行された。自家製のようなコピー版で、1965年高橋功氏がアフリカからの帰途、イタリアで入手され、中野二郎氏に贈られたものである。同年同志社大学マンドリンクラブで田中昭彦氏の指揮で日本初演された。
 グラウコスについてはギリシャ神話に次のような話がある。
 グラウコスは漁師をして暮らしていたが、ある時不思議な草を食べて、下半身は魚であるが、上半身は人間のままで、頬には緑青のように青い鬚がいっぱい生えている海の神となった。
 グラウコスは、スキュラという美しい少女に恋をしたがなかなか成就しなかった。彼は旧知のキルケーを訪ね、キルケーの魔法の力でなんとかスキュラの心を自分の方に向わせてくれないかと頼み込んだ。もともとキルケーはグラウコスに好意を持っていたので、スキュラの事を嫉妬し、魔法の草を煮て怪しい薬汁を作り、スキュラがいつも水浴びをする池の水にその薬を混ぜこんだ。スキュラが池にやってきて水浴びをすると、彼女の身体から三匹の恐ろしい犬の首が生えだしてきた。スキュラはそれが自分の身体とは思わず、悲鳴を上げて池から逃げ出し、やがて事の真相に気づいたのであった。一部始終を傍らに隠れて見ていたグラウコスはスキュラのあまりの醜さに嘆き悲しみ、自らの行いを後悔した。スキュラはその後メッシーナの崖の岩窟に隠れて、下を通る船の水夫たらを襲って餌食する怪物になったという。(呉茂一著「ギリシャ神話」新潮社 より)

 「グラウコの悲しみ」と言えば岡村光玉氏を抜きにして語る事は出来ない。岡村氏を語る時に必ず引き合いに出るのがC.ムニエルのお墓再興と晩年のマッツォーラ訪問の話だが、SMDを卒部されてからの凄まじい人生は著作の「歌に生き、夢に生き」に詳しく、ギターの時間のWebページ上のインタビューでもその一端を読む事が出来る。そして英雄葬送曲やアマデイの組曲の数々も岡村氏の尽力があって今の私たちが演奏できている事も忘れてはいけない。
 その岡村氏が晩年の作者を訪ねた折り、当時のマツォーラは心臓疾患による左半身不随で言葉ももうあまり話せなかったが長男が同席して面会がかなった。マッツォーラは遙かな国からの来訪に狼狽しながらも東方の地で自分の作品が演奏されている事に驚き、涙を浮かべて岡村氏を歓待し、その様子は当時の新聞にも掲載された。お礼にSMDの演奏テープを贈ったところ、次男代筆の手紙で「グラウコの悲しみ」の演奏を聴きたいと希望された為、日本から演奏テープを取り寄せ送った。既に入院していたマッツォーラはその演奏を聴きながら亡くなり、やはり次男から「限りない感謝の意を岡村氏に、父はそのテープを聴きました、そして非常に幸福そうにして、貴方に礼を言ってくれと」とのお手紙をいただいたという逸話が残されている。(「同志社大学マンドリンクラブ80年の歩み」参照)
 その後彼の全作品は2004年にベルガモのアンジェロ・マイ図書館に寄贈され公開されている。
 この作品には音楽作品では見られないcon orgoglio、angosciosoという記載があり、岡村氏は同作の演奏においてこれらを強く印象づけようとされていた。orgoglioは「誇りを持って」、angosciosoは「悲惨な:つらい:ひどい」などの意味であるが、angoscioso + piantoで深意を探ってみると、かのダンテの神曲に以下のようなフレーズが見られる。
 "che si bagnava d’angoscioso pianto;"こちらは「谷底は、苦患の絞り出す涙で濡れていた。」と訳されているが、「苦患」とは大辞泉によると「地獄におちて受ける苦しみ」とあり、まさに堪えがたい苦痛を表す言葉と言える。

参考文献
オザキ譜庫出版:グラウコの悲しみ総譜解説
同志社大学マンドリンクラブ80年の歩み -Angelo Mazzola氏との出会いとその死-
ギターの時間 岡村光玉インタビュー(同志社大学マンドリンクラブ100周年記念座談会
大辞泉
posted by コンコルディア at 20:38| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌劇「ウラガーノ」より第三幕への前奏曲

歌劇「ウラガーノ」より第三幕への前奏曲
L’Uragano, Preludio Atto III (1936)
ウーゴ・ボッタキアリ 作曲 石村隆行 編曲
Ugo Bottacchiari / Rid. Takayuki Ishimura(1879.3.1Castelraimondo〜1944.3.17 Como)

 作曲者はマチェラータのカステルライモンドに生まれ、同地の工業高校で数学と測地法を学んだが馴染まず、幼少より好んでいた音楽に傾倒していった。そしてピエトロ・マスカーニ(歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」で著名)の指導下にあるペザロのロッシーニ音学院に入学し、厳格な教育を受けた。師マスカーニからは直々に和声とフーガを学んだという。1899年にはまだ学生であったが、歌劇「影」を作曲し、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場で上演、成功を収めオペラ作曲家としてのスタートを切った。卒業後はルッカの吹奏楽団の指揮者や、バチーニ音学院で教鞭をとるなどしつつ、管弦楽曲、歌劇、室内楽曲、声楽曲、マンドリン合奏曲など数多くの傑作を表し、諸所の作曲コンコルソで入賞した。
 マンドリン合奏のための作品としては、1906年のシヴォリ音楽院の作曲コンクールで第1位を受賞した4楽章の交響曲「ジェノヴァへ捧ぐ」、1910年のIl Plettroの第3回作曲コンクールで第1位を受賞したロマン的幻想曲「誓い」や「交響的前奏曲」などを残し、いずれも斯界の至宝的存在となっている。ボロニアで発行されていたマンドリン誌「Il Concerto」の主宰者になり、1925年にはA. Capellettiのあとを継いで、コモのチルコロ・マンドリニスティカ・フローラの指揮者に就任するなど、作曲以外の面でのマンドリン音楽への貢献も大きいものがある。
 歌劇「ウラガーノ」はVittorio Locchiが著した台本に基づき作曲された。1936年にC.O.L.から出版されたもので、イタリア王立アカデミーから賞を授けられている。ウラガーノとは、あらゆる者を破壊しつくす大暴風という意味である。本曲は第三幕の前に設けられた前奏曲で、63小節という短い曲でありながら、作者の晩年の円熟した作曲技法が惜しみなく用いられた密度の高い曲である。
 曲はソナタ形式による。2つの主題は前奏曲独自のものであるが、展開部の中間には歌劇の第三幕の主題と、第一幕の主題(単に旋律というよりは狂言回し的に伴奏に何度も現れる主題)がエピソードとして挟まれている。第1主題は作者のマンドリン合奏の名曲「交響的前奏曲」と同じ動機でできており、マンドリン音楽に親しんでいる者にもなじみやすい。
 第2主題は提示嬰ハ長調(変ニ長調)、再現変ホ長調で調性感があって、変ホ長調を主調に再現するように書かれている。一方、第1主題は主要な部分は全音音階で調性感が無いが、結尾に調性感が出るようになっている。提示と再現では全音音階部分は違いが無く、調性感が出る部分だけを書き換えて帰属する調が変わるようにし、提示ハ長調、再現変ホ長調として変ホ長調を主調に再現するように書かれている。このトリックによって、第1主題は提示と再現で同じ形であるというソナタ形式の形態を保ちつつ、第1主題と第2主題がいずれも移調されて主調に調和するという2つの主題の対等性を確保している。このような近代的な楽想と高度な楽式の調和はさらに後年の「夢の魅惑」にもつながるものであり、作者の音楽的思想の一端を見せるものである。

参考文献: オザキ企画「Ugo Bottacchiari集(1)」松本譲 編
アルバムフィロドリーノ第8巻 石村隆行 編
posted by コンコルディア at 20:36| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「コンチェルト・ファンタジー」 ピアノとロシア民族楽器オーケストラの為の

ピアノとロシア民族楽器オーケストラの為の「コンチェルト・ファンタジー」
КОНЦЕРТ - ФАНТАЗИЯ
ДЛЯ ФОРТЕПИАНО И ОРКЕСТРА
РУССКИХ НАРОДНЫХ ИНСТРУМЕНТОВ (1955)
ボリス・アレクサンドロヴィッチ・アレクサンドロフ 作曲 歸山 榮治 編曲
Бори́с Алекса́ндрович Алекса́ндров(Boris Alexandrovich Alexandrov)
(1905.8.4 Бологое ~1994.6.17 Москва ) / Rid. Eiji Kaeriyama

 ボリス・アレクサンドロヴィッチ・アレクサンドロフはソビエト・ロシアの作曲家、合唱指揮者。スターリン賞(1950年)、ソ連人民芸術家(1958年)、社会主義労働者英雄(1975)、レーニン賞(1978年)など数多くの叙勲を得ている。1905年に今のトビリシの近くであるボロゴエで、父はソビエト人民芸術家、母は聖歌隊の隊長という音楽一家に生まれ(ちなみに弟二人も作曲家である)、幼少よりツヴァル音楽学校で学び、7歳の時には父アレクサンデル・ワシーリエヴィチの聖歌隊に入隊、13歳でビオラを学ぶ傍ら、ボリショイ劇場ではF.シャリアピン独唱下の合唱を勤めた。1923年にはモスクワ音楽院に入学、ラインホルト・グリエールに作曲とピアノを学び、1928年には最初のオペラ「マリノフカの結婚」を作曲している。その後1929年にはソビエト赤軍の中央劇場の音楽部門の責任者となり、1933年にはモスクワ音楽院の教授に就任と父の足跡をなぞるように、若くして華々しいキャリアを歩んだ。また1937年からは父が創設したアレクサンドロフ・アンサンブル(西側では赤軍合唱団と称するがオーケストラや舞踏団も含まれている)の副芸術監督としてその発展に大きな功績を残した。特に第二次大戦中は父と共に1500回もの演奏会を通じてロシア民族音楽やソビエト生まれの作曲家の歌曲等で国威を発揚し、スターリンの称賛を得た。1946年父が亡くなった後はアンサンブルの監督として活躍、第二次大戦後はフランスを皮切りに次々とヨーロッパ各国を楽旅しつつ、同時に多くのソリストを育成、ロシア民族音楽の発展に寄与したが、その音楽の中心には常に愛国心に溢れる合唱団の存在があった。1994年に楽界から引退すると程なくして息を引き取り、父の隣で眠りについているが、アレクサンドロフ家の名を持つアンサンブルは現在もA. V. Alexandrov Academic Song and Dance Ensemble of the Russian Armyの名で活躍中である。
作品は交響曲、室内楽曲、器楽曲、劇音楽など多岐にわたっているが、軍事的な作品が主立っているせいか、純音楽的な作品は本作以外を耳する事は現時点では困難である。本作は1955年に作曲されたピアノとロシア民族楽器オーケストラの協奏的な作品であるが所謂協奏曲とは趣を異にしている。曲は大きく3つの部分から成るが、最初のエピソードはピアノの雄大なカデンツァ風な独奏で開始される。そのままオーケストラが最初のエピソードをなぞると続いて第2のエピソードに切れ目なく突入する。第2のエピソードはいわばスケルツォにあたるような短いパッセージをピアノとオーケストラで交換しながらの軽妙な掛け合い。続いてピアノのカデンツァを挟んで3つめのエピソードへの橋渡しとなる哀愁を帯びた旋律が開始され、そのまま3つめのエピソードに突入する。この3つめのエピソードはロシア民謡「門の前で」("У ворот, ворот(ウ・ヴァロート、ヴァロート)"。
uvorotv.gif
チャイコフスキーの序曲「1812年」の中間部に出てくる旋律で耳にされた事のある方も多いだろう。いつ頃作られた民謡なのかははっきりしないが、曲の原型と思わしき旋律は同じくチャイコフスキーがピアノ連弾用に編んだ「50のロシア民謡」の第48曲で聴く事が出来る。(この民謡の歌詞は非常に不可思議なもので、「門の前で、父の門の前で、ああ楽しいドナウ、男たちは遊んでいる、若い奴は出来ないね、うん出来ない」という非常に短い歌詞をどんどん歌い次ぐものである。ロシアは古くはオスマン帝国のコサックの内政自治権に端を発する通りドナウ川が黒海に河口を開く地域の領有権争いを繰り返した経緯がある為、古民謡にはドナウ川が描かれているものが散見されるようだ。)
この3つめのエピソードは激しい高揚を見せて高ぶる感情のまま、第1のエピソードの帰還を迎える。ここでは冒頭非常にシンプルに演奏された第1のエピソードをピアノが壮大に支えてオーケストラの全強奏で再現される様が圧巻である。そして曲は勢いを増したまま力強く終結する。
本作は作曲者指揮、ラザール・ベルマンのピアノという1965年の大変貴重な演奏をyoutubeで聴く事が出来るがこれは金管楽器をも含んだ所謂レッドアーミーならではの特大編成と思われる。ベルマンのピアノは「私は19世紀の人間であり、ヴィルトゥオーソと呼ばれるタイプの演奏家に属している」と自認していたように、芝居がかった演奏、濃厚なロマンティシズムと強靭なタッチといういかにもな演奏である。ぜひご一聴いただきたい。なお本作以外ではアレクサンドロフ自身が指揮台に立ったアレクサンドロフ・アンサンブルの演奏は多数目にする事が出来る。今回の演奏では歸山先生のご好意により1972年にモスクワ社から出版されたオリジナル稿にならいバヤンをアコーディオンで、グースリクラヴィシュナをオートハープとハープで加え、打楽器もオリジナル編成で演奏する。また総譜にはないテンポ表記についても作曲者指揮の演奏に準じて演奏する。


参考文献:
music fantasy
ウィキペディア英語版
作曲者指揮/ラザール・ベルマン(Pf)による演奏
ロシア民謡「門の前で」
posted by コンコルディア at 20:36| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

序曲「ロシアの祭日」

序曲「ロシアの祭日」
Увертюра ≪Русский праздник≫ (1967)
アレクサンドラ・ニコライエヴナ・パフムートワ 作曲 歸山 榮治 編曲
Александра Николаевна Пахмутова (Aleksandra Nikolayevna Pakhmutova) / Rid. Eiji Kaeriyama (1929.11.9 Волгограда ~)

 作者のアレクサンドラ・パフムートワはロシアの作曲家。ソ連作曲家協会、およびロシア作曲家協会の委員会秘書官を歴任した。1929年にスターリングラードの近郊に生まれ、3歳からピアノと作曲を始めた。1936年より1941年の戦争までスターリングラードの音楽学校に通い、その後は1943年からモスクワのチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院付属中央音楽学校に入学して、ピアノを学ぶとともにヴィッサリオン・シェバーリンとニコライ・ペイコの下にあった作曲家サークルに参加した。1948年にはモスクワ音楽院の作曲科に入学し、シェバーリンの下で学んで1956年に大学院を修了した。
 多数の歌曲で知られているが、映画音楽、管弦楽作品など幅広いジャンルに作品がある。管弦楽作品としてはロシア組曲、トランペット協奏曲、序曲「青春」、管弦楽のための協奏曲などがある。序曲「ロシアの祭日」は、ロシア民族楽器オーケストラのためのおそらく作者唯一の作品で、1967年に作曲されている。編成上本作が他のロシア民族楽器オーケストラ作品と異なる点がある事にも触れておこう。本作は通常ロシア民族楽器オーケストラで使われるバヤンの替りにガルモーニが5台加えられている。バヤンはもともとは11世紀ロシアの吟遊詩人に名を発する独自の鍵盤配列を持った民族楽器の一つであったが、18世紀後半にドイツから来る季節労働者が持ち込んだ小型アコーディオンのガルモーニの普及とともに発展し、現代モデルではボタン式アコーディオンとほぼ同じ構造を有している。ガルモーニは小型で音域も狭い為、バヤンに比べダイレクトで軽い音色が特徴となっている。この為ソプラノ2台、アルト、テナー、バス各1台の5パートで必要とされる音域をカバーしつつ、作品の持つ明るい軽妙な響きを目指したと考えられる。構造上の違いとしてはバヤンがボタンアコーディオン(押引同音式)である事に対し、ガルモーニはダイアトニックアコーディオン(押引異音式)となっている。
 現代のロシア民族楽器オーケストラはペテルブルグに生まれ、幼少時より民族楽器に親しんだワシーリー・アンドレーエフによって改良されたバラライカやドムラなどの撥弦楽器を中心に構成された大ロシア合奏団に端を発している。バラライカやドムラのようにトレモロを比較的多く使用する表現方法など、ロシア民族楽器オーケストラのサウンドはマンドリン合奏と通じるものがあるが、マンドリン音楽の発展のためには「大衆性」を有するレパートリーの充実が必要と考えた編曲者の歸山氏は、親しみやすい音楽としてこれらロシア民族楽器オーケストラのレパートリーに着目しその作品をマンドリン合奏に編曲する活動を行った。
 本曲は同形の序奏とコーダを伴うソナタ形式による序曲である。第1主題はイ長調、第2主題はト短調-ハ短調(ドリア旋法)-ニ長調(ミクソリディア旋法)-ト短調-による。主題の展開要素が少ない中間部と属音保続部を挟んで、第1主題が提示と同形で再現される。第2主題は中間を取り出してニ短調(ドリア旋法)-ホ長調(ミクソリディア旋法)での再現が行われる。
蛇足であるが1968年ロシアの女性天文学者リュドミーラ・チェルヌイフが発見した小惑星には作者の名にちなみ1889 Pakhmutovaと命名されている。


参考文献: 作者公式ページ
ウィキペディアロシア語版
小林靖宏 「アコもの知りメモ」〜「国によって違うアコーディオンの呼び名について」 (アコーディオン・ジャーナル1980年5月号)
加藤徹 ダイアトニック・アコとコンサーティーナについて 空気を「こねる」楽器たち

posted by コンコルディア at 20:33| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタNo.7+1/2

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタNo.7+1/2
Sinfonietta No.7+1/2 for Mandolin Orchestra (1981)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri (1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

I. Allegro
II. Andante espressivo
III. Allegro molto

 作者は生涯を関西を中心とした日本音楽界の為に捧げた日本のクラシック音楽史上の大功労者。朝比奈隆に師事し、1941年旧東京交響楽団にホルン奏者として入団したのを皮切りに、多くの楽団に在籍、大阪音大講師に就任した。「浪速のバルトーク」の異名を誇り、日本人の土俗的かつ原始的な感情に根ざした作風でオペラ、管弦楽曲、吹奏楽曲等、多くの分野で作品を残した。1958年に大阪府芸術賞、1991年に日本吹奏楽アカデミー賞を受賞した。
マンドリンオーケストラのためにはシンフォニエッタを始めとした純器楽のほか音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、その総数は約40曲にも及んで作者の作品の中でも多くの割合を占めている。最近、大栗裕記念会により、ティーダ出版から作者の作品のファクシミリ版楽譜が出版されており、既にシンフォニエッタの1、2、5、6番と交響的三章「巫術師」が発売されている。
 シンフォニエッタNo.71/2は、シンフォニエッタシリーズの最後の作品であるとともに、作曲者の最晩年の作品である。原曲である第7番「コントラスト」はシンフォニエッタのシリーズ中唯一管楽器を含まないという編成上の特徴がある。シンフォニエッタのシリーズは第3番と第7番を除いて全て関西学院大学マンドリンクラブの委嘱・初演作品であるが、第7番「コントラスト」は名城大学ギターマンドリン合奏団にて委嘱された。
本来は同年に関西学院大学の定期演奏会にて新作を発表する予定であったが、病床にあった作者は新たな作曲ができず、関西学院大学マンドリンクラブの当時の指揮者占部則義氏によって管楽器を加筆する (加筆にあたっては、作者からの具体的な指示は得られなかったようである) ことで代替とした。本日演奏するのは、この版にNo. 71/2というナンバーが与えられたものである。管楽器の加筆の他に、弦楽器の一部の音の除去、速度記号の追加、G.P.の削除などの変更点がある。
 曲の構成は作曲者記にある。第3楽章は作曲者記では変則的なソナタ形式とされているが、実際の構成はABCABDAというものである(このうちBはNo.71/2でpoco menoの速度指示が追加されたところで、テンポ上の対比がある)。これはむしろロンド形式に近い。第3楽章全体は明るい楽想が支配的であるが、Dの部分では長調と短調の和音が入り混じった「大栗らしい」響きとなっている。そうして、Dの最後に至って、シンフォニエッタ第1番の第3楽章の主題の動機が現れる。これによってシンフォニエッタの最終作から第1作への循環形式が形成され、シリーズの全体を閉じる構造が形成される。
 第7番「コントラスト」は前述のとおり弦楽器のみの編成で書かれているが、これは初演団体の制約によるものだったであろう。しかし逆に考えると、なぜそのような制約があっても「コントラスト」をシンフォニエッタのナンバーとして作曲したか、そこに特別の意図があったと見ることができよう。シンフォニエッタは大栗のライフワークの一つとなっており、それをシリーズとして総括することはなすべきことであった。しかしながら、そのために作曲家として残された時間が少ないことを作者は認識していたのではないか。本来であれば関西学院大学の委嘱作をシンフォニエッタシリーズの最終作として満を持して発表すべきところだが、それを待っていては間に合わないので、弦楽のみの編成の「コントラスト」をシンフォニエッタ最終作としたのではないかと考えることができる。
 第1番への循環形式は、第3楽章の最後のエピソードの終わりに初めて現れる。この部分を実際に書くまでこの曲をシンフォニエッタ最終作とするかを迷っていたようにも見える。作曲者記において楽式を「変則的なソナタ形式」と表現したのにも、このような迷いが現れていると言えよう。
 ともあれ、シンフォニエッタは第7番で閉じられ、No.71/2で完成を見た。コンコルディアのシンフォニエッタ全曲演奏チクルスの締めとして、No.71/2から第1番への循環形式を表現したい。
posted by コンコルディア at 20:30| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マンドリンオーケストラの為の群炎W

マンドリンオーケストラの為の群炎W (1976)
熊谷 賢一
Kenichi Kumagai(1934.2.16 Yokohama〜2017.10.9 Tokyo).

 作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。
マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズI〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、現在ではご遺族が管理するウェブサイトであるクマハウス(http://kumahouse-16.sakura.ne.jp/kenichi_top.html)から、適切な手続きを経て楽譜の購入、演奏許諾が可能となっている。
本曲は1976年7月、第29回青少年音楽祭(福岡市)にて初演された作品。青少年音楽日本連合(Jeunesses Musicales du Japon)はユネスコ傘下のJeunesses_Musicales_Internationalの日本支部である。同年には早くも東海学生マンドリン連盟合同演奏会で再演されている。総譜は当時作者が勤務していた暁学園短期大学の紀要として1977年3月に刊行された。本紀要には作者がマンドリン合奏曲をするようになった経緯や、当時の斯界の状況を俯瞰して作者が捉えていた現況と課題などについて記載されているが、所謂「群炎」についての記述について引用してみたい。

”群炎”は私の造語である。読んで字の如くホノオの群れであるが、この言葉は作曲した音楽の内容や形式には直接関係はなく、ましてホノオの情景描写でないのはもちろんである。”群炎”とは作曲者や演奏者は勿論、聴衆をも含めた全ての人間の「音楽的行為」の中で、現在と未来に生き抜こうとする強い生命力のエネルギーが、あたかも炎の如く燃え上がる”表れ”でありたい。そしてそれらの炎が集まり不毛の原野を焼き尽くし、新しい創造に立ち向かう力となりたい、といった私の創造上に於ける理想として考える理念の抽象化された標題である。
そして、その発想の出発点は、表現上の音楽技術における諸所の困難な問題に眩惑され、人間と音楽との原点的な触れ合いよりも技術中心的な傾向や、それと裏腹で支え合っている音楽上の無思想性や逃避性に対立する点にある。
技術上の問題は決して未来において解決できない問題ではない。だが全ての音楽的行為の中で生命の燃焼のない行為ほど人間存在が希薄で無意味となり、これほど時間の浪費はないのではないだろうか。

こうした作者の思いは作品群の中で群炎が特別の意味を持って作曲され続けた事を物語っている。こうした強い思いとともに、当初平易で演奏しやすいとして始められたボカリーズ、大衆音楽の中から律動性と旋律性を融合させたラプソディ、叙事的なバラードの各シリーズが最終的には「うたごころ」を伴ったエネルギーの結晶として一つの方向性に結集し、「平和への祈り」に結ばれていった事は、作者の生き様を知る者には必然であったのだと考えられる。その最後の到達点が、作者が最も大切にしていた群炎の最終作、群炎X(作曲開始当時の標題は「広島へ」、後に「祈りと希望」に改題)である。
曲は前作である群炎Vの終結部をそのまま引き継いだように打楽器の咆哮で始まる。和声感もそれまでの群炎のかもす揺らぎを彷彿とさせながらうねる。群炎Vの旋律を模倣しながらより荒々しい響きの中から子守歌風な息の長い旋律が現れる。曲はその後緩徐部の旋律が急速に展開し打楽器群の激しい乱舞が聴かれる。やがて曲は再度密度の高い弦合奏で前半部の旋律を大きく歌うがそれは突然断ち切られ、祭り囃子のようなリズムが現れそのまま全強奏で終結部に向かい突き進む。本作にはこれまでの群炎の色合いと共に、前々年に作られたラプソディVの影響が色濃く現れており、後半の祭り囃子の喧騒はラプソディVをそのまま引き継いだかのようである。前述した複数のシリーズの融合は本作が皮切りと考えられるが、一方で同年に作曲されたラプソディWは中間部に中学生日記の音楽を持つなど、ボカリーズとの融合が垣間見えるものとなっている。更に群炎Tから毎年作品を発表してきた作者が一年間の間隔を開けて発表した二つの作品である事(その後は再度毎年作品が発表されていく)、それまでの発表の舞台であった名古屋を離れ、それぞれ福岡と広島で初演された事等も踏まえて見ると、本作とラプソディWはシリアスかつ斬新な響きの前期作品とある意味対極にあるとも言える後期の熊谷作品の分水嶺に立つ作品と見る事が出来る。
コンコルディアは熊谷氏がその音楽人生をかけて産み出してきた「歌」と「祈り」を大切に守り、伝えていきたい。

参考文献:音楽家人名事典 新訂第3版 (日外アソシエーツ, 2001)、マンドリンオーケストラコンコルディア各種パンフレット、第一回宇宙船地球号コンサート「素晴らしい明日のために」パンフレット、クマハウスwebサイト
posted by コンコルディア at 20:28| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする