2011年04月19日

4月16日 練習報告

みなさん、こんにちは。
マンドローネパートのかみにょです。
4月16日の練習報告です。

今回のメニューは、
「群炎I」
「土偶」
「サウル王の悲劇」
「三楽章第4番」
でした。

この日も午前中に首都圏は余震に見舞われ、電車が止ま
った模様ですが、みんなマジメに練習に来ていました。

節電の為、エアコンをつけずに合奏。大人数で締め切った
空間にいたので、まぁ暑かったこと!

あまりに暑くてぼうっとしてしまい、指揮者が何を言った
かほとんど覚えていないのですが、かいつまんでいうと、

土偶では「音の質感」にこだわった指示が出たこと。
三楽章では、「音の距離感」こだわった指示がでたこと。

そんなトコですかね。

前回練習報告を書いたとき、選曲について触れ、「こんな
選曲で若いヒトが入るはずがない」と書きましたが、なんと
今回見学者がふたりお見えになりました。

それがコトもあろうに私の大学サークルの後輩の女性でした。
ふたりともすっかり素敵な奥さんになっていました。
楽器を弾くのは20年ぶりということでした。彼女達を見ながら
私は自分が先輩に連れられて、初めてここの合奏に参加した
日のことを思い出していました。そして天狗の歓迎会も懐かしく
楽しく過ぎて行ったのでした。

学生時代は合奏バリバリだったけど、足を洗って今はさっぱり、
っていう人多いと思うんですけど、「また始める」って面白そう
だなって思います。合奏の感覚が新鮮に感じられるというのは
うらやましい気もするな。

そのとき、あなたの隣にいたい、コンコルディア。


posted by コンコルディア at 23:55| Comment(0) | 過去の練習報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月13日

私たちに出来る事

東日本大震災にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。
亡くなられた皆様、ご家族の皆様には心から哀悼の意を捧げますとともに、
志半ばで生命を絶たれた同志にはその志を受け継いでいく事を約束いたします。
また被災された皆様にも一日も早い安静の日々が訪れます事を心よりお祈り申し上げます。


3月11日、日本は未曾有の災害に見舞われました。
私たちも、仲間の中に家族が東北地域にいるメンバーもおり、安否確認をしたり、家を
片づけたりという事に時間がかかり、また心の平静を取り戻す為もあり、初めて練習を
中止いたしました。
現在、練習は再開いたしましたが、練習のさなかに余震があったり、今までにない不安の
中で練習を行っています。

今回の地震があってから、自分たちと音楽のあり方について再考いたしました。
これだけの大きな災害がありながら、こうやって集まって音楽を奏でられる事の幸せ
をかみしめると共に、音楽が持つ意味、力の見つめなおしと言い換えてもいいかと
思います。

震災後10日ほど経った時のニュースの中に、今必要なものとして、沢山のものが
並べられた中に、静かな時間、生の音楽、というものが取り上げられていたのを
見ました。

音楽が持つ力とはどんなものなのでしょうか?
明るい雰囲気を醸しだす音楽、勇壮に士気を鼓舞する音楽、優しく慰める音楽、
賑やかに場を盛り上げる音楽、愛する人を想い奏でる音楽、哀しい気持ちを分け合う音楽、
様々な場面で音楽には人の心に訴えるものを持っています。
しかし、こういう未曾有の事態の中で過ごす毎日は、音楽を志す私たちに何が出来るだろ
うかと問い続ける日々でした。

欧米ではウィーンでもベルリンでもドレスデンでも、亡くなられた方への為の追悼演奏会
や、被災者の皆さんに対する義援演奏会などが行われています。キリスト教社会にあって
はこうした亡くなった方々を皆で追悼するというのが自然な感情として行われる事を
改めて感じましたが、日本人にとってはこうした感情は、共感は出来てもなかなか
自分の事としては思い描けないものではないかとも感じたりしました。

こうした中で再開した練習で、いつも何気なく会って笑っている仲間に再開出来た事が
どれほど幸せな事なのかと大変感激をいたしました。
よく言われるように、「当たり前でいる事の幸せ」がここにもあったんだとしみじみ
感じ、その仲間たちが一層いとおしく感じました。

今年の演奏会で取り上げる作品の中に、帰山栄治先生の
「マンドリン合奏の為の三楽章第四番」という作品があります。
全編ソロヴァイオリンを迎えるマンドリン合奏作品では異色の編成、
40分を超える長大な作品、
演奏機会も極めて稀(東京では、前回私たちが演奏してから19年ぶりの演奏です)
という事もあり、その存在を知る人は少ないと思います。

しかしこの作品の中には「人生」「喜怒哀楽」「死」「嘆き」「憂い」「相剋」
そういったものがすべて凝縮されています。
生きている事は「生かされている事」と言われます。
奇しくもこの記憶すべき年にこの大変意味の大きな作品を演奏する事になったのも
ひとつの巡り合わせかと思います。
初演のメンバー曰く、「レクイエムを書こうとして書けなかった音楽」と初演時に
先生より話があったと聴きます。
レクイエムはある意味昇華した感情の音楽です。
しかしここにあるのは慟哭であり、悪ふざけであり、祈りであり、切ったら血の出る
生けるものの音楽であると思います。

ソロヴァイオリンが歌う息の長い旋律は、願いだったり、嘆きだったり、笑いだったり
します。それに時に寄り添い、時に対立し、共に生きていくオーケストラ。
つらくて悲しくて、いやでいやで仕方ないけど、生きていくしかない事を嘲るような
諧謔的な音楽もまた真実としてそこに、そのままの形で現れます。ここにあるのは
「哲学」という難しいものではなく「現実の風景」だと感じます。

前回の練習で、初めて全曲を通しました。
まだまだ突き詰める部分は沢山あります。
しかし今しか出来ない演奏が出来るのではないかと感じています。
この演奏がどんな意味をもてるのか、誰かの生きる力になろうなんていう僣越な
事を言うつもりはありません。
そこに描かれたものを、一人一人が自分のおかれた環境と、震災を目の当たりにした
感情というエッセンスをのせて奏でる事が出来た時に、この音楽はこれまでの演奏
とは違う意味を持つ、生きとし生けるものの為の音楽として孤高の姿を浮かび上がらせる
事と思います。
様々な気持ちを込めて演奏いたします。何が描けるのかはわかりません。
誰かの力になれるかもわかりません。
ただそこにある音楽をひたむきに「真実」としてお届けする事はお約束いたします。

今からでも遅くありません。共に演奏してくださる仲間を募りたいと思います。
ぜひご連絡ください。

コンコルディア指揮者 横澤 恒

posted by コンコルディア at 21:19| Comment(0) | コンコルからのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする