2018年07月08日

第46回定期演奏会

マンドリンオーケストラコンコルディア第46回定期演奏会
日 時 2018年7月16日(月・祝) 開場:16:00、開演:16:30
場 所 かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホール
(京成本線「青砥駅」徒歩7分)
入場料 無料(チケットなしでもご入場いただけます)

第1部
群炎IV 熊谷 賢一
シンフォニエッタNo.7+1/2 大栗 裕

第2部
序曲「ロシアの祭日」 Александра Пахмутова/ 歸山 榮治 編曲
コンチェルト・ファンタジー Бори́с Алекса́ндров/ 歸山 榮治 編曲

第3部
歌劇「ウラガーノ」より第三幕への前奏曲 Ugo Bottacchiari/石村隆行 編曲
交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」 Angelo Mazzola
シンフォニエッタ第1番 大栗 裕

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大栗裕は1918年7月9日に生まれ、2018年には生誕100周年を迎えます。数奇な縁で、例年6月に開催しているコンコルディアの定期演奏会も今回は7月になりました。コンコルディアでは第38回定期演奏会から大栗のシンフォニエッタシリーズの全曲演奏に取り組んでおり、生誕100周年に合わせて最後の作品を演奏します。
大栗はマンドリンオーケストラのためにシンフォニエッタシリーズをはじめとした純器楽の他、音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、総数は約40曲にも及んで全ての作品の中でも多くの割合を占めます。シンフォニエッタは7曲が存在し、標題を有しないか純音楽的な標題である絶対音楽の作品と、叙事的な標題を有する標題音楽の作品を含みます。コンコルディアの全曲演奏では、最初に最終作であるNo.7「コントラスト」を演奏した後に、まずNo.6「土偶」、No.4「ラビュリントス」、No.3「ゴルゴラの丘」という標題音楽のラインを遡って演奏し、その後No.5、No.2「ロマンティック」という絶対音楽のラインを辿って演奏しました。その演奏の中で、標題音楽として書かれている作品においては標題上の意味をもつ主題を循環形式で扱うことによって深い内容が作られていること、標題を有しないNo.1とNo.5については暗示的な標題イメージが投影されていること(No.1は伎楽のイメージで作曲されており、No.5は標題音楽である組曲「陰陽師」と第3楽章を共有している)を理解してきました。
今回演奏するシンフォニエッタ2作品のうち、1曲目はシンフォニエッタNo.7+1/2です。オリジナルのNo.7「コントラスト」は、シンフォニエッタのシリーズ中では例外的に弦楽器のみの編成で書かれていました。これに管楽器を加筆してサブナンバーを与えたのがNo.7+1/2で、この曲がシンフォニエッタシリーズ最後の作品となりました。そして全曲演奏の大トリを飾るのはシリーズの原点であるシンフォニエッタNo.1です。関西学院大学マンドリンクラブの創立50周年を祝して作曲された本曲は、大栗裕生誕100周年を記念するに相応しい名曲です。
No.7+1/2にはNo.1に通じる動機を共有しており、シリーズとして大きな循環形式を形成しています。今回の演奏会は一度にこの2曲をお聴きいただくことで、シンフォニエッタがシリーズとして描こうとしたものを感じていただける稀有な機会となります。全曲演奏を行ったコンコルディアだからこそできる演奏を是非お楽しみください。
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マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタ第1番

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタ第1番
Sinfonietta No.1 for Mandolin Orchestra (1967)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri (1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

I. Allegro
II. Andante
III. Allegro molto

 本曲は関西学院大学マンドリンクラブの創立50周年を記念して作曲され、1967年11月に同クラブの第42回定期演奏会にて初演された。初演時のパンフレットには単に「マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタ」と書かれており、1972年の「大栗裕氏を迎えて15周年記念特別演奏会」の再演時にもパンフレットに同様の表記がなされている。このため、第1番というナンバーは後年、シリーズの後作ができた後に付けられたと考えられる。
 大栗裕は1958年に関西学院大学マンドリンクラブの技術顧問に就任し、1961年からマンドリン合奏のための作曲作品を発表するようになった。しかし、作曲者記にあるように本作以前には純器楽の作品は無かった。技術顧問就任から10年を経て、満を持して純器楽作品を作曲したのが本作である。
 シンフォニエッタ第2番の作曲までは7年の間があり、本作の作曲時点ではシンフォニエッタのシリーズ化を想定していなかったと考えられる。急緩急の三楽章は後作に通じるが、特に第1楽章の楽式はかなり自由であり、ソナタ形式の楽章を第1楽章に配置する他のシンフォニエッタと大きく異なる。本作の第1楽章は序奏を有する三部形式のような形式である。この楽式は、伎楽のストーリーを再現するという意図によるものが大きいと考えられる。
 伎楽とはかつて存在した日本の伝統演劇で、飛鳥時代から奈良時代にかけて盛んに上演されたが、平安時代を経て鎌倉時代になると次第に上演されなくなった。元は中国南部の呉に由来する楽舞であったが、そのルーツについても、中央アジア方面を発祥とするなど諸説ある。寺院楽として仏教寺院で上演されたもので、伎楽面と呼ばれる各種キャラクターの仮面を被って演じられ、ある種のパレードと伴奏を伴う無言劇で構成された。現在知られている伎楽のストーリーは、伎楽が既に衰退した1233年に著された教訓抄という楽書に記されたもので、下記のようなものである。まず、治道が先導する行道と呼ばれるパレードで一行が登場する。呉王、金剛による登場の舞、迦楼羅によるテンポの速い舞、崑崙が呉女に言い寄り金剛と力士にこらしめられる演技、波羅門が褌をぬいで洗う演技、大孤の父子による仏への礼拝、酔胡とその従者(酔胡従)が酔っ払った演技が順に行われる。本曲の第1楽章がどのようにこのストーリーをなぞっているかは露には示されていないが、序奏に行道の雰囲気を見て取ることができるなど、大栗のイメージを想像しながら鑑賞することも面白い。
 第2楽章は、主題とその自由な展開からなる三部形式の緩徐楽章。第2楽章の主題は、第1楽章の中間部の主題と関連が持たされている。
 本曲の第3楽章は熱狂的な主題を有するロンド形式で、祝祭を表すものである。第1エピソードは主題の動機を用いたもので、第3エピソードは第1楽章の主題を用いたものである。関西学院大学マンドリンクラブの50周年を記念した本曲を、本日は大栗裕の生誕100周年の記念の曲として演奏することで、シンフォニエッタのチクルスを閉じたい。
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交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」

交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」
Pianto di Glauco, Intermezzo sinfonico (1951)
アンジェロ・マッツォーラ
Angelo Mazzola(1887.5.11 Bergamo〜1974.10.2 Bergamo).

 作者は1887年イタリア・ベルガモに生まれたギタリストで作曲家。ヴァイオリンの教授でありギターにも造形の深かったAntonio Lavezzariについてギターを学び始めた。ジュディチの指揮する”エステュディアンチナ・ベルガマスコ”には合奏団の創立(1907)の後、間もなくその活動に参加し、以来、家業の仕立屋(ベルガモで最も著名なブランドの一つ)を営みながら斯楽に対して並々ならぬ情熱を傾け、後年はギターパートの首席奏者を務め、また時には指揮者としても演奏会に臨み、合奏団の育成発展に大きく貢献した。さらに自らマンドリンクワルテット”Quartetto Mandolinistico Mazzola”を組織して活躍した。長年多くのマンドリニストの伴奏者として喜び迎えられ、ギター独奏家として立つに至った。作曲は25歳の頃から独学で始めたという。多くの経験は作曲の上にも生かされ、「牧人の夢」等がミラノのイル・プレットロ誌から出版された。また1950年代に自家出版のかたちで沢山のマンドリン曲、ギター独奏曲を出版した
 「グラウコの悲しみ」は1951年にベルガモで発行された。自家製のようなコピー版で、1965年高橋功氏がアフリカからの帰途、イタリアで入手され、中野二郎氏に贈られたものである。同年同志社大学マンドリンクラブで田中昭彦氏の指揮で日本初演された。
 グラウコスについてはギリシャ神話に次のような話がある。
 グラウコスは漁師をして暮らしていたが、ある時不思議な草を食べて、下半身は魚であるが、上半身は人間のままで、頬には緑青のように青い鬚がいっぱい生えている海の神となった。
 グラウコスは、スキュラという美しい少女に恋をしたがなかなか成就しなかった。彼は旧知のキルケーを訪ね、キルケーの魔法の力でなんとかスキュラの心を自分の方に向わせてくれないかと頼み込んだ。もともとキルケーはグラウコスに好意を持っていたので、スキュラの事を嫉妬し、魔法の草を煮て怪しい薬汁を作り、スキュラがいつも水浴びをする池の水にその薬を混ぜこんだ。スキュラが池にやってきて水浴びをすると、彼女の身体から三匹の恐ろしい犬の首が生えだしてきた。スキュラはそれが自分の身体とは思わず、悲鳴を上げて池から逃げ出し、やがて事の真相に気づいたのであった。一部始終を傍らに隠れて見ていたグラウコスはスキュラのあまりの醜さに嘆き悲しみ、自らの行いを後悔した。スキュラはその後メッシーナの崖の岩窟に隠れて、下を通る船の水夫たらを襲って餌食する怪物になったという。(呉茂一著「ギリシャ神話」新潮社 より)

 「グラウコの悲しみ」と言えば岡村光玉氏を抜きにして語る事は出来ない。岡村氏を語る時に必ず引き合いに出るのがC.ムニエルのお墓再興と晩年のマッツォーラ訪問の話だが、SMDを卒部されてからの凄まじい人生は著作の「歌に生き、夢に生き」に詳しく、ギターの時間のWebページ上のインタビューでもその一端を読む事が出来る。そして英雄葬送曲やアマデイの組曲の数々も岡村氏の尽力があって今の私たちが演奏できている事も忘れてはいけない。
 その岡村氏が晩年の作者を訪ねた折り、当時のマツォーラは心臓疾患による左半身不随で言葉ももうあまり話せなかったが長男が同席して面会がかなった。マッツォーラは遙かな国からの来訪に狼狽しながらも東方の地で自分の作品が演奏されている事に驚き、涙を浮かべて岡村氏を歓待し、その様子は当時の新聞にも掲載された。お礼にSMDの演奏テープを贈ったところ、次男代筆の手紙で「グラウコの悲しみ」の演奏を聴きたいと希望された為、日本から演奏テープを取り寄せ送った。既に入院していたマッツォーラはその演奏を聴きながら亡くなり、やはり次男から「限りない感謝の意を岡村氏に、父はそのテープを聴きました、そして非常に幸福そうにして、貴方に礼を言ってくれと」とのお手紙をいただいたという逸話が残されている。(「同志社大学マンドリンクラブ80年の歩み」参照)
 その後彼の全作品は2004年にベルガモのアンジェロ・マイ図書館に寄贈され公開されている。
 この作品には音楽作品では見られないcon orgoglio、angosciosoという記載があり、岡村氏は同作の演奏においてこれらを強く印象づけようとされていた。orgoglioは「誇りを持って」、angosciosoは「悲惨な:つらい:ひどい」などの意味であるが、angoscioso + piantoで深意を探ってみると、かのダンテの神曲に以下のようなフレーズが見られる。
 "che si bagnava d’angoscioso pianto;"こちらは「谷底は、苦患の絞り出す涙で濡れていた。」と訳されているが、「苦患」とは大辞泉によると「地獄におちて受ける苦しみ」とあり、まさに堪えがたい苦痛を表す言葉と言える。

参考文献
オザキ譜庫出版:グラウコの悲しみ総譜解説
同志社大学マンドリンクラブ80年の歩み -Angelo Mazzola氏との出会いとその死-
ギターの時間 岡村光玉インタビュー(同志社大学マンドリンクラブ100周年記念座談会
大辞泉
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歌劇「ウラガーノ」より第三幕への前奏曲

歌劇「ウラガーノ」より第三幕への前奏曲
L’Uragano, Preludio Atto III (1936)
ウーゴ・ボッタキアリ 作曲 石村隆行 編曲
Ugo Bottacchiari / Rid. Takayuki Ishimura(1879.3.1Castelraimondo〜1944.3.17 Como)

 作曲者はマチェラータのカステルライモンドに生まれ、同地の工業高校で数学と測地法を学んだが馴染まず、幼少より好んでいた音楽に傾倒していった。そしてピエトロ・マスカーニ(歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」で著名)の指導下にあるペザロのロッシーニ音学院に入学し、厳格な教育を受けた。師マスカーニからは直々に和声とフーガを学んだという。1899年にはまだ学生であったが、歌劇「影」を作曲し、マチェラータのラウロ・ロッシ劇場で上演、成功を収めオペラ作曲家としてのスタートを切った。卒業後はルッカの吹奏楽団の指揮者や、バチーニ音学院で教鞭をとるなどしつつ、管弦楽曲、歌劇、室内楽曲、声楽曲、マンドリン合奏曲など数多くの傑作を表し、諸所の作曲コンコルソで入賞した。
 マンドリン合奏のための作品としては、1906年のシヴォリ音楽院の作曲コンクールで第1位を受賞した4楽章の交響曲「ジェノヴァへ捧ぐ」、1910年のIl Plettroの第3回作曲コンクールで第1位を受賞したロマン的幻想曲「誓い」や「交響的前奏曲」などを残し、いずれも斯界の至宝的存在となっている。ボロニアで発行されていたマンドリン誌「Il Concerto」の主宰者になり、1925年にはA. Capellettiのあとを継いで、コモのチルコロ・マンドリニスティカ・フローラの指揮者に就任するなど、作曲以外の面でのマンドリン音楽への貢献も大きいものがある。
 歌劇「ウラガーノ」はVittorio Locchiが著した台本に基づき作曲された。1936年にC.O.L.から出版されたもので、イタリア王立アカデミーから賞を授けられている。ウラガーノとは、あらゆる者を破壊しつくす大暴風という意味である。本曲は第三幕の前に設けられた前奏曲で、63小節という短い曲でありながら、作者の晩年の円熟した作曲技法が惜しみなく用いられた密度の高い曲である。
 曲はソナタ形式による。2つの主題は前奏曲独自のものであるが、展開部の中間には歌劇の第三幕の主題と、第一幕の主題(単に旋律というよりは狂言回し的に伴奏に何度も現れる主題)がエピソードとして挟まれている。第1主題は作者のマンドリン合奏の名曲「交響的前奏曲」と同じ動機でできており、マンドリン音楽に親しんでいる者にもなじみやすい。
 第2主題は提示嬰ハ長調(変ニ長調)、再現変ホ長調で調性感があって、変ホ長調を主調に再現するように書かれている。一方、第1主題は主要な部分は全音音階で調性感が無いが、結尾に調性感が出るようになっている。提示と再現では全音音階部分は違いが無く、調性感が出る部分だけを書き換えて帰属する調が変わるようにし、提示ハ長調、再現変ホ長調として変ホ長調を主調に再現するように書かれている。このトリックによって、第1主題は提示と再現で同じ形であるというソナタ形式の形態を保ちつつ、第1主題と第2主題がいずれも移調されて主調に調和するという2つの主題の対等性を確保している。このような近代的な楽想と高度な楽式の調和はさらに後年の「夢の魅惑」にもつながるものであり、作者の音楽的思想の一端を見せるものである。

参考文献: オザキ企画「Ugo Bottacchiari集(1)」松本譲 編
アルバムフィロドリーノ第8巻 石村隆行 編
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「コンチェルト・ファンタジー」 ピアノとロシア民族楽器オーケストラの為の

ピアノとロシア民族楽器オーケストラの為の「コンチェルト・ファンタジー」
КОНЦЕРТ - ФАНТАЗИЯ
ДЛЯ ФОРТЕПИАНО И ОРКЕСТРА
РУССКИХ НАРОДНЫХ ИНСТРУМЕНТОВ (1955)
ボリス・アレクサンドロヴィッチ・アレクサンドロフ 作曲 歸山 榮治 編曲
Бори́с Алекса́ндрович Алекса́ндров(Boris Alexandrovich Alexandrov)
(1905.8.4 Бологое ~1994.6.17 Москва ) / Rid. Eiji Kaeriyama

 ボリス・アレクサンドロヴィッチ・アレクサンドロフはソビエト・ロシアの作曲家、合唱指揮者。スターリン賞(1950年)、ソ連人民芸術家(1958年)、社会主義労働者英雄(1975)、レーニン賞(1978年)など数多くの叙勲を得ている。1905年に今のトビリシの近くであるボロゴエで、父はソビエト人民芸術家、母は聖歌隊の隊長という音楽一家に生まれ(ちなみに弟二人も作曲家である)、幼少よりツヴァル音楽学校で学び、7歳の時には父アレクサンデル・ワシーリエヴィチの聖歌隊に入隊、13歳でビオラを学ぶ傍ら、ボリショイ劇場ではF.シャリアピン独唱下の合唱を勤めた。1923年にはモスクワ音楽院に入学、ラインホルト・グリエールに作曲とピアノを学び、1928年には最初のオペラ「マリノフカの結婚」を作曲している。その後1929年にはソビエト赤軍の中央劇場の音楽部門の責任者となり、1933年にはモスクワ音楽院の教授に就任と父の足跡をなぞるように、若くして華々しいキャリアを歩んだ。また1937年からは父が創設したアレクサンドロフ・アンサンブル(西側では赤軍合唱団と称するがオーケストラや舞踏団も含まれている)の副芸術監督としてその発展に大きな功績を残した。特に第二次大戦中は父と共に1500回もの演奏会を通じてロシア民族音楽やソビエト生まれの作曲家の歌曲等で国威を発揚し、スターリンの称賛を得た。1946年父が亡くなった後はアンサンブルの監督として活躍、第二次大戦後はフランスを皮切りに次々とヨーロッパ各国を楽旅しつつ、同時に多くのソリストを育成、ロシア民族音楽の発展に寄与したが、その音楽の中心には常に愛国心に溢れる合唱団の存在があった。1994年に楽界から引退すると程なくして息を引き取り、父の隣で眠りについているが、アレクサンドロフ家の名を持つアンサンブルは現在もA. V. Alexandrov Academic Song and Dance Ensemble of the Russian Armyの名で活躍中である。
作品は交響曲、室内楽曲、器楽曲、劇音楽など多岐にわたっているが、軍事的な作品が主立っているせいか、純音楽的な作品は本作以外を耳する事は現時点では困難である。本作は1955年に作曲されたピアノとロシア民族楽器オーケストラの協奏的な作品であるが所謂協奏曲とは趣を異にしている。曲は大きく3つの部分から成るが、最初のエピソードはピアノの雄大なカデンツァ風な独奏で開始される。そのままオーケストラが最初のエピソードをなぞると続いて第2のエピソードに切れ目なく突入する。第2のエピソードはいわばスケルツォにあたるような短いパッセージをピアノとオーケストラで交換しながらの軽妙な掛け合い。続いてピアノのカデンツァを挟んで3つめのエピソードへの橋渡しとなる哀愁を帯びた旋律が開始され、そのまま3つめのエピソードに突入する。この3つめのエピソードはロシア民謡「門の前で」("У ворот, ворот(ウ・ヴァロート、ヴァロート)"。
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チャイコフスキーの序曲「1812年」の中間部に出てくる旋律で耳にされた事のある方も多いだろう。いつ頃作られた民謡なのかははっきりしないが、曲の原型と思わしき旋律は同じくチャイコフスキーがピアノ連弾用に編んだ「50のロシア民謡」の第48曲で聴く事が出来る。(この民謡の歌詞は非常に不可思議なもので、「門の前で、父の門の前で、ああ楽しいドナウ、男たちは遊んでいる、若い奴は出来ないね、うん出来ない」という非常に短い歌詞をどんどん歌い次ぐものである。ロシアは古くはオスマン帝国のコサックの内政自治権に端を発する通りドナウ川が黒海に河口を開く地域の領有権争いを繰り返した経緯がある為、古民謡にはドナウ川が描かれているものが散見されるようだ。)
この3つめのエピソードは激しい高揚を見せて高ぶる感情のまま、第1のエピソードの帰還を迎える。ここでは冒頭非常にシンプルに演奏された第1のエピソードをピアノが壮大に支えてオーケストラの全強奏で再現される様が圧巻である。そして曲は勢いを増したまま力強く終結する。
本作は作曲者指揮、ラザール・ベルマンのピアノという1965年の大変貴重な演奏をyoutubeで聴く事が出来るがこれは金管楽器をも含んだ所謂レッドアーミーならではの特大編成と思われる。ベルマンのピアノは「私は19世紀の人間であり、ヴィルトゥオーソと呼ばれるタイプの演奏家に属している」と自認していたように、芝居がかった演奏、濃厚なロマンティシズムと強靭なタッチといういかにもな演奏である。ぜひご一聴いただきたい。なお本作以外ではアレクサンドロフ自身が指揮台に立ったアレクサンドロフ・アンサンブルの演奏は多数目にする事が出来る。今回の演奏では歸山先生のご好意により1972年にモスクワ社から出版されたオリジナル稿にならいバヤンをアコーディオンで、グースリクラヴィシュナをオートハープとハープで加え、打楽器もオリジナル編成で演奏する。また総譜にはないテンポ表記についても作曲者指揮の演奏に準じて演奏する。


参考文献:
music fantasy
ウィキペディア英語版
作曲者指揮/ラザール・ベルマン(Pf)による演奏
ロシア民謡「門の前で」
posted by コンコルディア at 20:36| Comment(0) | 46th定演曲目解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする