2016年06月17日

第44回定期演奏会

マンドリンオーケストラコンコルディア第44回定期演奏会
日 時 2016年6月18日(土) 開場:16:30、開演:17:00
場 所 かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホール
(京成本線「青砥駅」徒歩7分)
入場料 無料(チケットなしでもご入場いただけます)

第1部
序曲「祖国への愛」 Francesco Amoroso
抒情的間奏曲 Salvatore Falbo Giangreco
ファンタジーII 小櫻 秀爾

第2部
音楽絵画「市場にて」 Николай Будашкин/ 歸山 榮治 編曲
バイカル物語(ザバイカル開放30周年) Николай Будашкин/ 歸山 榮治 編曲
ソロヴァイオリンとマンドリンオーケストラのための「協奏詩曲」 歸山 榮治

第3部
シンフォニエッタNo.5 大栗 裕
群炎III 熊谷 賢一

44th.jpg
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2016年06月14日

音楽絵画「市場にて」(1946) 「バイカル物語」ザバイカル解放30周年(1950)

音楽絵画「市場にて」(1946)
"На ярмарке". Музыкальная картинка
「バイカル物語」ザバイカル解放30周年(1950) 
"Сказ о Байкале" 30-летие освобождения Забайкалья

ニコライ パヴロヴィッチ ブゥダーシキン 作曲 歸山 榮治 編曲
Николай Павлович Будашкин (Nikolay Pavlovich Budashkin) / Rid. Eiji Kaeriyama
(1910.8.6 Любаховке ~ 1988.1.31 Москве)

 作者は現在のカルーガ州にあるLyubahovkeの村に生まれモスクワで死去したロシアの作曲家。幼少期よりアマチュアのブラスバンドおよびロシア民族楽器オーケストラに親しみ、1929年にモスクワ州立の音楽学校に入学、1937年には作曲科を修了した。1945年から1951年までバラライカ奏者であるOsipov兄弟の名を冠するオシポフ記念国立民族楽器オーケストラの指導助手を務め、そのオーケストラのために多くの作品を作曲した。1965年からはモスクワ州立芸術文化大学にて教鞭を取った。ロシア幻想曲、ドゥムカ、ロシア狂詩曲などの作品により、2度のスターリン賞を受賞。民族楽器のための音楽の他、映画音楽などに作品を残している。
 現代のロシア民族楽器オーケストラはペテルブルグに生まれ、幼少時より民族楽器に親しんだワシーリー・アンドレーエフによって改良されたバラライカやドムラなどの撥弦楽器を中心に構成された大ロシア合奏団に端を発している。アンドレーエフは1882年イタリアを旅行し、ナポリでマンドリンオーケストラの演奏を聴き、イタリア人が自国の民俗音楽をいかに愛しているか、それに比較し悲しい運命を辿った自国の民俗音楽に嘆きを覚え、ロシア民族楽器オーケストラの近代化に着手したと言われている。彼のオーケストラ創立のプランは以下のような物だった。「私はモスクワ国−つまりロシア中部地域の人が演奏していた楽器全てを復興させようと思う、私の作ったバラライカグループにドームラを加えて、更にグースリ、ジャレイカ、そしてラジョーク、多分グドーク、最後はナクルイや他の打楽器も復興させるのだ」。アンドレーエフの楽旅は各地に大ロシア合奏団を手本とした民族楽器オーケストラを産む事となった。その中ではパリ万博前後に、イタリア風、マンドリンをモデルに作られた楽器など心ない中傷を受ける事などもあったが、長きに渡り西洋弦楽器との比較による誹りと闘い続けながら、当時の欧州のマンドリンオーケストラが大衆化と共に、その表現力の拙さから音楽的地位の向上を遂げられなかった事と比して、交響楽的発展を遂げ、後年には大衆性を維持しながらもトルストイの称賛を受ける等独自の芸術的地位を確立するに至った。
 バラライカやドムラのようにトレモロを比較的多く使用する表現方法など、ロシア民族楽器オーケストラのサウンドはマンドリン合奏と通じるものがあるが、マンドリン音楽の発展のためには「大衆性」を有するレパートリーの充実が必要と考えた編曲者の歸山氏は、親しみやすい音楽としてこれらロシア民族楽器オーケストラのレパートリーに着目しその作品をマンドリン合奏に編曲する活動を行った。編曲活動を始めた後に歸山氏はモスクワへ渡航し、病床にあったブゥダーシキンを訪問した。既に本人との意思疎通は難しかったが、夫人にマンドリン合奏へ編曲した演奏の録音を披露したという。
 本日演奏するブゥダーシキンの二つの作品はいずれもモスクワ音楽社1987年発刊のАнтология литературы для оркестра русских народных инструментовと題された作品集第4巻に収載された楽曲。本アンソロジーはブゥダーシキンの作品のみで構成されているが別巻も含め様々な作曲家のロシア民族楽器オーケストラ作品を収載している。
 いずれの作品もドムラ、バラライカを中心とする編成に打楽器とバヤン2台、グースリという編成で書かれているが「市場にて」ではウラジーミルホルンも登場する(本日はアコーディオンで代奏)。バヤンはもともとは11世紀ロシアの吟遊詩人に名を発する独自の鍵盤配列を持った民族楽器の一つであったが、18世紀後半にドイツから来る季節労働者が持ち込んだ小型アコーディオンのガルモニカの普及とともに発展し、現代モデルではボタン式アコーディオンとほぼ同じ構造を有している。一方グースリはロシアの撥弦楽器でチター型弦楽器に属し、この国では最も古い起源を持つ楽器と言われる。響きや構造はカンテレとよく似たものであるが、本日使用する鍵盤型の他、翼型、兜型など様々なバリエーションのある楽器で、著名なグースリ奏者のオルガ・シシュキナ女史の演奏するグースリは翼型グースリである。現在のロシア民族楽器オーケストラではニコライ・フォーミンが19世紀末に箱型グースリを元に設計した弾弦型と鍵盤型の2種のグースリが使用されており、前述のオシポフ記念オーケストラでも同様である。この2種の楽器が加わる事による音色の変化は誠に驚嘆すべきものである。
 「市場にて」は快活単純な舞曲調の旋律の合間に民謡風の哀愁を帯びた中間部を有する小品で、ロシアのアマチュア民族楽器団体でもしばしば演奏されている作品。
 「バイカル物語」はオリジナル作品は1970年代よりヴィタリ・グヌトフ指揮オシポフ記念オーケストラの演奏が知られて来たが、帰山氏がソ連公演時に編曲し、斯界でもその名を知られる事となった。現在ではニコライ・カリーニンの指揮による同楽団のCDが入手可能である。原譜の副題にはザバイカル解放30周年と書かれている。ザバイカル(トランスバイカル)とはバイカル湖の北東側地域を指す。ロシア革命後、ロシアでは革命側の赤軍と反革命側の白軍に分かれたロシア内戦が起こり、白軍には干渉国が支援を行っていた。ザバイカルでは白軍指揮官であったグレゴリー・セミョーノフが立ち上げたザバイカル共和国がシベリア出兵を行った大日本帝国の傀儡国家となっていた。1920年ザバイカル共和国は赤軍やパルチザン活動の攻撃によって瓦解し、日本軍も撤退した。本曲はそれによるザバイカルの開放を記念したものと推察される。曲の背景は別として雄大な旋律と静かな湖面を彷彿とさせる透明感のある弦の響きとグースリによるきらびやかな装飾はえも言われぬ美しさである。本日の演奏では奏法、音色ともロシアの響きを再現出来ないかにチャレンジしている。
なお、いずれも帰山氏の編曲を下地に、グースリとバヤンの採用を踏まえ原曲の記譜を採用している事を報告しておきたい。帰山氏に伺ったお話によるとブゥダーシキンを始めロシア民族楽器作品はそれぞれの楽団の規模や編成に応じて作者がその楽団用のオリジナルのバージョンを提供しており、複数のバリエーションが存在しているとの事で、なるほどオリジナルに見られる記譜とオシポフ記念オーケストラで聴かれる本作品の記譜は一部が違っているのはそういう次第かと合点がいった。なおオシポフ記念オーケストラによる「バイカル物語」の演奏はYoutubeでも聴く事が出来る(https://www.youtube.com/watch?v=kf0OSeBlNPA )。

バヤン
バヤン.jpg

グースリ
グースリ.jpg

参考文献:
北川記念ロシア民族楽器オーケストラ https://kitaoke.tumblr.com/
ブリタニカ国際大百科事典
http://ez.chita.ru/encycl/
コンコルディア第41回定期演奏会パンフレット
50 лет освобождения Забайкалья от белогвардейцев и иностранных интервентов
ウラジーミル・ボリソヴィチ・ポポノフ 著、広瀬信雄 訳 『新版 ロシア民族音楽物語』 新読書社
ユーリー・バラーノフ著、北川つとむ序文 広瀬信雄 訳 『バラライカ物語』 新読書社
анных интервентов
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ソロヴァイオリンとマンドリンオーケストラの為の「協奏詩曲」(2005)

ソロヴァイオリンとマンドリンオーケストラの為の「協奏詩曲」 (2005)
歸山 榮治 作曲
Eiji Kaeriyama (1943.5.25 Ono〜)

 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。
その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。
 またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、 現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。 作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在10数曲を数えている。
 1983年に作曲された、ソロマンドリンとマンドリンオーケストラの為の「協奏詩曲」はその初演ソロ奏者である榊原喜三氏がイタリアオリジナル作品を愛好することから多分にサービス精神を持って作曲されたという逸話を持つ作品。その後本作は87年にアンサンブル・フィル・ムジカの為にギター抜きの改作版、91年には再びギターを加えた再改訂版が作られ、それを基にこのヴァイオリン版が作曲されている。上記のような変遷の中で、初演版と比較すると和声構築がより現代的かつ明晰になり、比較的近作に近いものになってきている事は注目すべき点と言えよう。
 本作で描かれているのは「愛」の旋律と言われているが、陰影を帯びたメランコリックな旋律といびつな形のドラマティックなリズムが交互に出てくるところはただのラブソングで終わらない氏の面目躍如と言えようか。孤独なオトコの背中で語る「愛」の形は、いつの時代にもいる、不器用な形でしかキモチを表現できないオトコたちに慰めを与えるものと言える。旋律を奏でる楽器がマンドリンからヴァイオリンに替わっただけでこれ程にも印象が異なるものとなる事は初演時には想像もつかなかった事であろうが、また必然でもあったと確信出来る。透明にピンと張りつめた空気の中たゆとうように現れるヴァイオリンのフラジオレットは筆舌に尽くしがたい美しさである。「悲恋」と言えば美しいがその実、心の中のどろどろした部分はヴァイオリンでこそ表現されつくしたと言っても過言ではないだろう。帰山作品にしばしば現れるアンビバレントな感情の起伏は本作に置いては特に情感豊かに、そして改作を重ねた本版において、よりその相克する心の葛藤はよりリアルに描きだされたと確信する次第である。

参考文献:帰山栄治普及振興協会編「帰山栄治作品解説集」
http://www.bass-world.net/cgi-bin/kaeriyama_works/wiki.cgi
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2016年06月10日

群炎III

マンドリンオーケストラの為の群炎III
(1972)
熊谷 賢一
Kenichi Kumagai(1934.2.16 Yokohama〜)

 作者は1934年に横浜に生まれ、愛知学芸大学卒業後、間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事、NHKの委嘱による作曲、指揮活動を開始した。その後、川島博、中川弘一郎の両氏と「三音会」を結成し、各種音楽団体の委嘱による作曲活動をはじめとしてドラマ、映画、舞踊、室内楽、合唱、幅広い活躍を続け、また現代音楽集団、土の会、東海音楽舞踊会議など多くの団体に所属し活発な創作活動を展開してきた。合唱曲の分野では特に多くの作品があり、雑誌「教育音楽」において73年より継続して小中高生の為の合唱曲を多数発表した。90年には朝日新聞社・日本合唱連盟主催による第一回朝日作曲賞で「イタリアの女が教えてくれたこと」が第一位を受賞している。
マンドリン合奏には実験的な音楽から平易なアンサンブル用の作品まで多くの作品を残しており、ボカリーズI〜X、群炎I〜VI、ラプソディーI〜VI、バラードI〜VI、プレリュードI、等がある。作者のマンドリン合奏のための作品は、学生団体の不作法や著作権処理の不備などを理由に1996年から2000年の間演奏凍結がなされていたが、現在では適切な手続きを踏まえて演奏が可能となっている。最近作者とご家族のウェブサイトであるクマハウス(http://kumahouse-16.sakura.ne.jp/kenichi_top.html)が立ち上げられ、楽譜などの問い合わせもそこから可能となっている。
 本曲は1972年に書かれ、東海学生マンドリン連盟演奏会の名古屋学院大学ブロックにて初演された。6曲あるマンドリンオーケストラのための「群炎」は、IとIIが弦楽器のみの編成で書かれており、本曲以降は弦楽器に打楽器が加わった編成となっている。このため一聴するとIII以降で印象が変わったように感じられるが、後述するようにIIとIIIで密接な関連性が持たされており、シリーズとしての連続性が保たれている。
 本曲は三部形式からなる。冒頭マンドロンチェロによって提示される主題は現代的な楽想で様々に展開される。中間部は躍動的な前半と歌謡的な後半からなる。再現部では、主題の動機の逆行形を有する低音のオスティナートに乗せて、より激しく主題が歌われる。
 群炎IIの主題は曲中で3か所姿を変えて登場する。しかし、曲の最後に現れる際にはその最後の部分が省略されている。省略された3度上昇-2度上昇の音型、それが群炎IIIの主題の中核となる部分動機である。群炎IIIはその部分動機をもつ主題から始まる。つまり、群炎IIIは群炎IIが終わったところから始まり、群炎IIで失われたものを補完する。中間部の最後では群炎IIの主題の断片が(群炎IIで群炎Iの主題の断片が引用されたのと同様に)引用され、この2つの曲の関連性を明らかにしている。

参考文献:音楽家人名事典 新訂第3版 (日外アソシエーツ, 2001)、マンドリンオーケストラコンコルディア第32回定期演奏会パンフレット、邦人作曲家・マンドリンオーケストラ作品リストhttp://homepage3.nifty.com/chocchi/Composer/composer_frame.html
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シンフォニエッタNo.5

マンドリンオーケストラの為のシンフォニエッタNo.5
(1977)
大栗 裕
Hiroshi Ohguri (1918.7.9 Osaka〜1982.4.18 Osaka)

I. Allegro
II. Andante
III. Allegro molto

 作者は生涯を関西を中心とした日本音楽界の為に捧げた日本のクラシック音楽史上の大功労者。朝比奈隆に師事し、1941年旧東京交響楽団にホルン奏者として入団したのを皮切りに、多くの楽団に在籍、大阪音大講師に就任した。「浪速のバルトーク」の異名を誇り、日本人の土俗的かつ原始的な感情に根ざした作風でオペラ、管弦楽曲、吹奏楽曲等、多くの分野で作品を残した。1958年に大阪府芸術賞、1991年に日本吹奏楽アカデミー賞を受賞。没後30年に当たる昨年には記念演奏会などが多数催された。
マンドリンオーケストラのためにはシンフォニエッタを始めとした純器楽のほか音楽物語、ミュージカルファンタジー等を多数残しており、その総数は約40曲にも及んで作者の作品の中でも多くの割合を占めている。最近、大栗裕記念会により、ティーダ出版から作者の作品のファクシミリ版が出版されており、第1弾として本曲とシンフォニエッタ第6番「土偶」が頒布されている。
 大栗のマンドリンオーケストラのためのシンフォニエッタは7曲(及び編成違いのサブナンバー1曲)が作曲されており、ソナタ形式等を用いた3楽章の形式を雛形としながら作曲者の音楽性が表現されている。今回取り上げるシンフォニエッタ第5番は、1977年に関西学院大学マンドリンクラブにより初演された。
 シンフォニエッタのシリーズの前後作が標題を有しているのに比して、本曲は標題を有しない絶対音楽として書かれている。シンフォニエッタ第2番はごく短期間で急遽作曲され、第3番と第4番は着手時にはシンフォニエッタとして企画されなかった可能性があることを考えると、本曲でシリーズの原点に立ち返るような意味合いが持たされたのかもしれない。標題音楽として書かれた前後作においては楽章間の関連性が標題上の重要な意味をもたらしているが、本作ではそのような仕掛けは薄く、楽想によって率直に音楽が表現されている。
 

参考文献:日本の作曲家―近現代音楽人名事典(日外アソシエーツ, 2008)、マンドリンオーケストラコンコルディア第26回定期演奏会パンフレット
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